愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【断想集】すべてのクレタ人のための初級日本語講座

 

「いいえ」と私は言った。

 

ステップ1:私の舌の中に異邦人の舌が住まう。そうして私を主語にして語る。
ステップ2:異邦人の舌の中に日本人の舌が住まう。そしておもむろに私を主語にして語り出す。
ステップ3:「いいえ」と私は言った、と彼らは聞く。

 

私が一人称で「いいえ」と言うと、それが彼らには三人称の「はい」に聞こえているようです。これについては教科書のどこを見たらいいのですか?

 

私は母語と日本語のあいだでプレスされている。それでできあがる人間の鋳型は両方の国語および国土と合致しない。

 

この国の人たちはみんな知らず知らずのうちに私たちにとってのプロクロステスになっている。言葉の寝台で眠りながら裁かれる異邦人の悲鳴を、生まれてから死ぬまでずっと母語のベッドでゴロゴロ寝ていられる母国人が聴きとることはないだろう。私がプロクルステスに案内された寝床で時にはベッドからはみ出した舌先を裁断され、時には枕に届かなかった舌の根を引き裂かれてのたうち回らねばならない苦悶のさなかにも、寝息をたててさらに日本語の寝言までつぶやく母語話者たちの熟睡した耳には。

 

ただの平凡で素朴で何気ない凡庸な日本人のように、私たちはいつまでたってもあなたたちのようには語れないのか。ただの平凡で素朴で何気ない凡庸な雑談の「きょうはいい天気ですね」とあいまいなアルカイックスマイルを交換しあう愚鈍な交感さえも。

 

わたしを一人称で語れるのはこの世でただ一人私だけなのに、当の私自身がわたしを三人称で語ってしまってもいいの?