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「いいえ」と私は言った。
買い物帰りのふとした閑暇に住宅街を見渡せば、むかし故郷で見た懐かしい風情を思わせる質素な家屋の上空に、乾いた北風をともなって浮かぶ豊かな抑揚のついた雲が、気高い天来の趨勢を過度に漂わせながら流れていた。体温のように根拠もなく湧いてくるにわかな楽観は連日の緊張をつかのまゆるませたものの、お役所は支援者の事前想定を超えてだいぶ手早い仕事ぶりだったらしく、帰宅時にポストに入っていた難民申請却下の通知が、休日の能天気な弛緩を叩きのめした。
私が一人ぼっちになっていたチープなイスと、職員の男たちが鎮座した鈍重な机の狭間に広がっていた、大陸間の海峡に似た遠大な距離。
どうせ彼らにとっては私に流れている血も汗も偽装なのだ。
いつだって裁く側でいられる彼らの真実の軽さに、私の咽喉には悪性の浮腫がぶくぶくと浮かんで舌が動かせなくなる。憎むべきそして愛すべきこのクレタの舌が。
沈黙まで虚偽として聞かれていた。
私たちの言葉を直接翻訳できるほどの技能を持つ人は、遺憾ながら日本語話者に一人も存在していないし、さらに言うならクレタ島外にかつて一人も存在したことがない。
「舟で島を出たときから覚悟していたことでしょう、私たちの舌を信じる人は、大海に浮かぶ東西南北のどんな陸地にだっていないということを」
そう、この記述だって全部嘘だよ、と記述したくなったことを、私は記述する。