愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【断想集】すべてのクレタ人のためのW・S

 

「いいえ」と私は断言した。それを私は否認していなくもないことを受忍していなくもなく、もしかしたらたぶんそうではなかったと言えなくもない心理が必ずしもなかったとは言えないかもしれないのではないかと思えなくもない可能性が否定しきれない。よって、人々は「はい」ととらえる。

 

日本人の政治家は嘘つきだ、と日本人の政治家が言った。

 

入管の対応に不適切な点などないし男性職員たちの落ち度によって死亡した女性などいないし外国人差別や難民の問題などこの国の国境内のどこにもないと主張する、それほどの嘘は歴代の名だたるクレタ島民だって敵わないよ。

 

日本の中高年男性における「聞く」の定義は、相手の発言を信じようが信じまいがどっちでもいい状態で、「言葉にせねば分かるわけがないのだから言いたいことがあるなら明言して相手を納得させるべきであり、それができないのならその原因は発達遅滞からくる言語能力の欠如のせいでしかなく、わざわざ時間と労をとって考えるほどの事柄ではない」と断じるまでの途中経過のこと。

 

「誤解させたのであれば謝る」だって。私たちも会見を開いて「あなたが嘘を信じる程度の低能な知性の持ち主でしかないのであれば謝る」って釈明したら、あらゆる非難を幕引きにできるのかな。

 

飢えた子供を前に作家が無力なのはどうでもいいから、たった今すぐに人間として何とかしろよ。

 

口がきけるときには異邦人。口がきけないときには障碍者。どちらでもなければ病人。それでさえあれなくなったら死者。言葉が通じる瞬間は生のどこにもない。

 

事象を裁断する拷問器具としての言葉。比較的丁寧に拷問を行使したとき、まるで繊細であるかのように私たちは定義を共有する。

 

私たちの舌が難民になっている。