愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【断想集】すべてのクレタ人のための適者不生存戦略

 

あのうすいませんここってやさしい虚偽入門教室の会場で合ってますか?ええっとここの施設ではやさしい日本語入門教室しかやってない?ああそれで大丈夫ですはじめましてこんにちは。

 

生活のためには目にしたくもないほど嫌な奴とも付き合っていかないといけない。たとえば自分自身とね。

 

ネットでコピーしてシェアされるごとに、解像度が低くなっていく言葉。

 

もしかして私たちの声ってモスキート音か何かにでも翻訳されてたりする?若い人だけにしか聞こえてないとか?

 

例の大文学者さんは『死の家の記録』の中で、人間の最良の定義は「適応する動物」であると言って自賛しているけど、実際は命をかけてでも「適応しない」ところにもまた、人間の定義とすべき私たちの矜持がある。『自分の家の中にいてもくつろがないことは道徳性の一部である』(アドルノ)って言葉にも似た、適応しない誇り、適応しない権利、適応しないプライドの高さがあって、たとえ種に抗ってでも、何としてでも国土に馴染まず、生涯をかけて異邦人たる努力をつづける、不毛にしかつづいていない旅路への Going To Hell がある。たとえ自分が自分の種の最後の生存個体で、「こんにちは」と笑顔で挨拶しないことが最終的な死因となる絶滅をまねいても、それでもやっぱり生半可な挨拶には応じないことに賭けるという、血迷った生存戦略に、最後に残された誇りというか尊厳というか、最後の人間性があるってものだ。

 

大量の水が注がれたために表面張力を張るコップの水面に、それまでの汚水とは無関係な一滴のしずくが落ちる。――どれほど清廉潔白であっても、コップの水があふれ出たとき、犯人にされるのはその一滴。