愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【断想集】すべてのクレタ人のためのフクシマでもなく汚染水でもなく危険でもないニュース速報(1)

 

2023年9月、フクシマで、ではなく福島で、原発汚染水の、じゃなかった処理水の、ホウスイ?がおこなわれた。私の、ではなく、いやこの場合は私でいいのか、私の、ともしも言ってよければ、でも違うと思うけど、仮に、私でよければ、私の国は、じゃなかった、私のものではない国は、でよければ、いや、よくはない。よくはないが、もしこの国が、国としての体裁を保てているとして、この国の、つまり、国と言っていいのかどうか、いや、いいえ、不適切でした。訂正します。誤解させたのであれば訂正してお詫びします。私は語るに値していませんよね。ワタシのこの国の政治に、フクシマの汚染水なんて言葉は存在していないし、私は私ではなく、ましてや、私の国なんてありませんもんね。あるのは福島で処理水の放出がおこなわれたという言葉であって、日本政府の諸外国への理解促進にもかかわらず、中国が強固な対抗処置として海洋取引の全面中止を発表したという報道の言葉。日本語で記述されるこれらの表現をうまく扱えないのは私の売国奴的な違法性であって、断じて言葉が太平洋の海原によどんでいるせいなんかじゃないんですよね。

 

有識者(?)は科学的根拠を持ち出しながら処理水は安全だと宣言しているけど、でもそれってかつて「原発は安全だ」って言っていた人たちじゃなかったっけ。今度は何を安全だって言ってくれるんだろう。もっと多くの安全をその厚顔と分厚い舌で宣言してくれないと、その安全を信じないワタシのような輩が科学的理解力に欠ける浅薄な反日だと云われてしまうではないか。その言葉は当時は本当だったから現在の嘘は罷免されるのか。それとも耳にした側の誤解にすぎないからいつまでも嘘なんてありえないのか。誤解させたのであれば謝るという元になった失言ほど、正確無比に理解できる言葉を私は知らないけど、正確な読解力を発揮できるときに限って国家は大衆の誤謬を強めに否定してくる。