愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【断想】舌痛集(ぜっつうしゅう)

 

舌を喰いしばって生きている

 

顔中に無数の動かない舌
目をおおう舌 耳をふさぐ舌
顔面に舌 鼻毛に舌 歯列に舌
老いた舌 枯れた舌 流産した舌 除菌した舌 骨折した舌
切除された舌 無能な舌 未熟児の舌 統失の舌
無機物の舌 去勢された舌 調教された舌 拘束された舌
のどに癒着した舌 過去にしがみついた舌
舌打ちにしか使えない舌 だんまりにしか使えない舌
体中をおおう舌 舌の位置にだけはない舌
どれも語りには使いものにならない
私をのっとった語れない舌の舌

 

足萎えて 舌萎える

 

舌が移植できたことを成功例に数えないでください

 

私は舌の墓守なのです
この沈黙から離れるわけにいきません

 

語るべきことが多すぎて
肥大した舌で息ができない

 

私の舌があったのってあなたの顎の上ですよね

 

口内にあった五千の舌たち
私を戦地にして同士討ちした

 

膣のない体に胎児がいる
流産することのない原寸大の逆子が

 

私の口は凶暴すぎて
自分の耳も寄り付かなくなった

 

二重人格みたいに語ろうとする二重舌の二重苦

 

耳管の濾過装置が優秀すぎて
耳ざわりの良い言葉ばかり残った

 

定義が実例を裁断し
私の裸が制服になる

 

鼓膜が過呼吸を起こして
意味を過剰に吸引する耳

 

耳に食いちぎられた口

 

耳は口下手
目は口上手

 

口蓋に埋葬された舌

 

口を煽る才あり
耳を煽る才あり

 

誰が温かな耳伸ばし
香りを収穫するだろう
舌に実りし名の果実

 

涙を固めた氷を支え
夏に小さな彫刻を掘る
濡れた指先に遺るのは
永久に未完の冷えた空

 

大海の耳が聴き逃がす
たった一滴の言葉があった
大海の言葉を聴きとれる
一滴の耳があったのに

 

死者たちが耳鳴りの海嘯を起こす
まだ海は聴こえるか
まだこの世は彼岸に値しているか

 

おい 舌だけでいいから戻ってこい
海中で舌を翻して津波を起こせ
地殻を轟かして震災にしろ
この此岸には言葉がない
お前を語れない国土を
舌の亡霊になって放せ