愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【断想】子供の学名

 

名前の津波がやってくる
私はただ一人それを受け止める

 


一生をかけて
私たちは自分自身の喪主を務める

 


一度は意味であった稚魚たちが
成長した名前に放流されていく
いつかわたしの記憶が遡上して
手に負えない大きさで再会するまで

 


虚飾をまつりあげ
実名が逃げていった

 


大勢が教室で名前磨きしていた

 


金持ちは名前まで飾りやすい

 


大雑把な名前に収まらない微小な感情

 


達成したのは自分らしさよりも名前らしさだったくせに

 


命名が殺名でもあった

 


毛の生えた舌でものを云う

 


長年名前に座り込んで動かない人

 


死後の名声を前借りしている老大家

 


延名のための延命

 


人の偽名を褒める

 


教室で呼ばれる子供の源氏名みたいな愛らしさと隷属性

 


何も考えずに他の人たちに付いて行ったので
道に迷わなかったことを理由に優秀だとされている人

 


新卒が名前に採用される

 


公立の車線はまっすぐな分
降りた人がすぐ名前に轢かれる 

 


匿名の集合住宅地で匿名をまとい
匿名の顔で匿名を過ごす匿名人の夢は有名人になること

 


他人の足を模倣できるようなら
その子は自分の足で歩いていける

 


学者みたいにふるまえるのは
子供の学名を忘れられた人たち

 


私たちは偽名でしか出会わなかったけど
本当は同名だったのかもしれないね 

 


教科書を覚えて偽名を履修したら
皆さん卒業おめでとうございます

 


派手な名前で着飾った凡庸な意味

 


殺名という言葉が発明されるべきだった

 


及第したときにだけ呼ばれるようなら
その実名は偽名でしかない

 


親だけが名前を蔑称にできる

 


名前が孤児だったなら
すでに十分な孤児だ

 


大人は名前で食べられる
子供は名前に食べられる

 


詰問される生に囲まれた子供が
黙り込んでいる死の方を優しく思う

 


飼い連れていた名前が育ち
今では自分が引っ張られている

 


誰も私の実名を呼ばないんだってわかったとき
偽名が付けられている肉体をこそ亡くしたくなる

 


正しい駅に着いて間違っていると思う不幸と
間違った駅について正しいと思う幸福との対立

 


津波の中にも津波があり
私は陸地でも海に流されている