愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【小説】小鯨猟

 祖筋
少年たち三人が、マンションの一室でそれぞれの漁の成果である「小鯨(しょうくじら)」を見せ合う。李(リー)や圭(ケイ)は見事な「小鯨」を見せたのに対し、「僕」の取り出した「小鯨」はあきらかに異質で、他の二人を狼狽させる。

 

 

   小鯨猟

 

 あんたは知らないだろう、白い雲が霧になって都市の景色を隠すようだった、十五階の、僕にとっては家庭内の見慣れた窓も今この時は僕たち三人のもので、親密な他人を作り合う、遊びのために集った僕の家での月曜日の夕方だった。

 李が終わったならじゃあこれほどのサイズじゃないけど俺だって見せるよ、と対抗する二番手の圭がいて、リュックサックの中から、この日のちょっとした秘密の競争のために家からかついでやってきた成果を差し出す。柔らかく溶けたボウリングの球のような重量と体積の塊が、潮気の混じるドロリとした液体とともにずるりと産出されるのを僕たちは見、重力にそって床に這う見事でキュートな遺体がぐったり横たわると、ベージュ色のカーペットに晒された黒い塊は健康そうな体型をしてぬめり気をおびながら、僕たちのような年齢の生徒が捕まえる分にははっきりと自尊心を満たせるほど優秀な、重さのある死を見せていた。圭が眼前で言う、ほらオレはわざわざ沖合いにまで出て猟をするくらいで、来年の試験のために週三日は釣の訓練に通わされているくらいだからと、僕たちの笑いまじり雑談の中に謙遜が混じるほどの高慢さの、プライドの高い表情を交ぜながら。とはいえ圭は快活な奴で、僕はその自慢げな様子を前にしても憤慨ではなく感心が湧き、圭が僕を釣果のお披露目に値していると見なしていること自体に自分の満足を感じられるほどだったんだよ。

 二人の取ってきたどちらもが良い鯨だねぇと僕も笑いの圏内に入って談笑に加わりながら、二つの塊を前に、鯨猟の成果を見せ合うちっぽけな会合は、必然的な、自然な、トモダチとしての流れとして僕の番になるわけで、能天気な素振りを装う口角を上げた頬の裏側に、僕の野心で泡立ち沸騰する焦燥の澱があった。笑ったりはしないからお前のだってほら、ここに、という同級生がうながす口先の優しさを期待しながら、それでもやっぱり僕は自分の鯨がこの場所に不釣合いなことを先んじて予感していて、自室から持ち出し置いていた焦げ茶の麻袋に入っている秘匿の成果を抱え込んだ僕の様子を見た二人が、そのあきらかにいびつな物体に違和感を感じた時点が最後の止める機会だった、その中止の時機を逸していく瞬間の暴露の勢いを、僕は子供じみた高揚から、かならずしも不快にはとらえなかった。巨大な都市の高層建築の一棟にすぎない一室に居る、たった三人の子供が大人のいないところでする、わずかな緊張感とかけひきをはらんだ平凡な放課後の私的な時間にすぎないはずのものを、僕は結局のところ悔恨の記憶へと変えてしまった。最高純度の絹の白さにとり返しのつかない黄色い唾の痕が染み込みとれなくなる、そのような馬鹿げた失策の汚点のようなそれが、麻袋からごろりと出たその塊にはあって、ああ――

 

 とその部屋にいた全員が同時に同質の後悔をする、後戻りのできない汚辱を目の前にさせたのだった。こうなるほかないとどこかわかっていて、どこか滑稽な笑い話に変転させられる力が僕たちの幼さと陽気さにはあるのではないかと思っていた、その期待がやはり、う……、裏切られて、ああ……と、機知の俊敏さでごまかせない気持ちの悪い時間を、経験させる。すでに乾いている黒い、海苔に覆われでもしているような醜い鱗の、ああ、たしかにこいつは醜かったのに、口も目も尾ひれもある全身をあらわにしたそれは、死んだ深海魚が間違って海の浅いほうへと姿をあらわしてしまい、網にかかってピンク色の病気の性器の全身がごろりと露出してしまったような、僕の取り出してしまった間違いの鯨で、言葉は、うん…、いや…、ほら、これはやっぱり……、なあ?ああ、うん。李も圭も、そのまなざしの交点から一時的に除外されていた僕も、うなづきあい、お互いに目配せをして、肯定しようとしても、どうしても楽天的なひとときにすることはできない、僕たちが僕たちでいられる時代の終わりにあたる、動かしがたい海岸の杭が深くまで刺さってしまっていた。三人が三人とも、目の前の釣果の披露を終わりにして次のどうでもいい日常に取り掛かるために、今ここにあるものを冗談にしようとしながら、その試みがことごとく失敗していく瞬間瞬間が苦い夕暮れの酸味をさらに強めて、ああ……、二匹の鯨と並んで横たわったその鯨?であるはずの僕の塊に目を落としていた。僕は、僕だって、そうだ、僕だって、これでも、こんなものでも、僕も猟のできる同じ人間なのだと証明したかった。僕だって同じ猟に出る同じ学年であり及第者であり将来の保障のある若者でありたいと思っていた。シ ョ ウ ク ジ ラ 、もしくはそれに類するものはなおも生きているし、これからも生きている。そうだろう、答えてくれよ目の前の小さな死め。暗く深い海洋の底を泳ぎ、微生物をたくさんの襤褸ごと飲む歯のある口で、丸飲みにしていくだろうたった一匹きりの孤独な繁栄をしながら。殺されるまでは生きていかねばならずに泳いでいく、お前は?

 

 僕が鯨であれたはずのものの手に負えない疲労を感じながら、空は夕暮れの燃焼に紅く焦げはじめていて、地上の街は一日中続いた霧がかるくもり空の中で心ざわめく日を何事もなかったように軽々しく終える日没をしまいこもうとしていた。将来、李は警察官になる。警察官になって地元の交番勤務になって地域の治安維持に貢献し、平均よりもずっと長生きをして一生を過ごしていく。圭は将来プログラマーになる。二十代としては異例な高い収入を得て、社交的でもあったから趣味のフットサルの交友関係とか結婚相手とか時々不幸はありつつも満ち足りた生涯になり、おおむね幸運で認められたと言っていい良い死に方をする。そして僕は小鯨漁を続ける十三歳のままでいて、同じ高層住宅の窓から雲にまみれて鼠たちが敷き詰められているような石灰的にかすむ故郷の大気を眺められる実家に居住し、やっぱり今日も見るだろう、赤色の光が網膜へと粉々に炸裂する終わっていくことのない馬鹿々々しい夕暮れ を。