愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【現代詩】「(弔うことのできない死があって)」他一編

今年書いた詩、「(弔(とむら)うことのできない死があって)」と「あとかた」の二編を掲載します。

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  (弔うことのできない死があって)

弔うことのできない死があって
喪上がりはまだおとずれていない。
遺体のあがらない死があって
僕は悲しみきることができない。

昔の領土だったものの上に
制圧者が偉そうな旗を刺す。
裏切りではなく贈呈だったと
語られる勝利者のための美談。

英雄譚はもういりませんから
僕には彼の死体をください。
彼のクソ汚い生首を晒して
そして浅薄な弔いの一夜を。

時間では過ぎ去らない
年月の澱を飲み続けた。
肉体のある亡霊がいて
僕は心臓で孕んでいます。

彼が彼となるために
死体を産み落としてください。
一度も生きなかった石ではなく
死んだ者として腐らせてください。

僕はもういりません。

彼の毛先の一本にでもなる時にだけ
侘びの言葉の万言をください。
黒い服なんていりません。
肉体だけをここにください。

 

   ♦

 

   あとかた

参列者は死者を集めている
(部位ごとへの挨拶のようなことをしながら)。
死者の家を片づけているみたいにして
死者の存在ごとの生身を片づけている。
空っぽの部屋となるように
死者は減っていく。

それで「私」たちの側からおもむいて挨拶をしにいく。
死者が地上にいのこりをしているんじゃないんです。
私たちが時の先へとおいとまをしている。
死者が残ってあとかたづけしているように
わたしらの側が今生をサボっている。
そんなことがわたしたちのあとかたです。