愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【現代音楽】呼吸合唱曲(文章による楽譜)

   上演の必要条件

・多様な音域の歌い手数十名をそろえなさい。

・演者は舞台上で音声を発してはならない。

・小規模なコンサートホールの狭い舞台に、大勢の者たちを密集して並ばせなさい。
出演者の口を覆う物も、お互いのあいだに置かれる仕切りも、客席との間隔もあってはならない。

・上演にあたっては、オンライン接続をはじめとしたあらゆるデジタル機器の使用を禁ずる。 

 

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  呼吸合唱曲 (命令形を主とした文章による楽譜)

客席に観衆がそろい、幕が開いたあと、大勢の者たちは無造作に、黙りこんだまま舞台に登りなさい
歩きなさい 段差を登りなさい そして並びなさい 
なすすべなくわずかに緊張しているときの呼吸をしていなさい

 

 第一楽章 口と肺があることの落ち度に打ちひしがれなさい

はじめ、それぞれの者はただ無造作に呼吸している
ほほえみのように、あいさつのように、日常であるかのように
しかし隠しとおせない違和にお互いの気まずい呼吸を強めていきながら。

やがてやや目立つかたちで、ソプラノ1名が嘆息する
静かに、小さく、気づかれないほどに
その後しばらくして、もう一度大きく、肩を動かして嘆息する
今度は幾人かが気づき、いくつかの目線が動くほどに。

(長い間)

バリトン1名がわずかな咳払いをする。 

(長い間)

人々はほほえみのように呼吸している
安息であるかのように
平凡な日々が過ぎていっているかのように呼吸はつづく

不要不急に息を吸うことなどなく、不要不急に息を吐くことなどないように
人々は息をとりつくろっている

やがてバリトン1名が、静かに、声もなく舞台を降りる
(咳払いをしたバリトンとは別の者でありなさい)
その者は再び戻ってくることはない 

 

 第二楽章 悲嘆の成層に息をのみ、怒声のような嘆息を長く、極端に長く吐きなさい

大人たちも 子供たちも 狭い場所で密集しながら 顔をそむけるようにしなさい
客席に対して背中をむける者もいる
あらゆる方向に対して顔をそむけている者もいる
合唱者の一部の人よ、舌打ちしなさい

半分の人よ、音もなく唇を動かしなさい
唇が付き 離れる
ウのかたち イのかたち エのかたちに 早く 遅く 縦に 横に 動かしなさい

ソプラノ・テノール・バスは口内に空気をふくんで頬をふくらませるが その空気は吐き出さずに飲み込みなさい
腹から 口内に至り また腹に戻り 口内に至らしめなさい
臓物と咽喉を運動させ 過剰に二酸化炭素を生んでいなさい
音以外のものでできたミニマルミュージックを 酸素の律動を反復させなさい
男たちから 女たちへ 
女たちから 男たちへ 最後には幾人かの子どもたちに律動を伝わらせなさい
やがておだやかにおさめていきなさい 

(間)

メゾソプラノ アルト テノールは気管支炎のように病的で複雑な呼吸をしなさい
息を張って 息をのんで 息づく間もない 息遣いをして
息をはずませ 息を長くして 息切れして

舞台の中心から離れたところにいたボーイソプラノ1名は過呼吸を起こしなさい 
そして過呼吸を50秒ほどつづけたところですみやかに舞台を降りなさい

すべての者は、襲いかかられたあとのように黙しなさい
ただし追悼よりも騒がしく 怒りをつのらせて息していなさい

(ふたたび長い間)

 

 第三楽章 息の根を止めなさい

すべての者たちはただ黙り込みなさい

黙(もだ)が 沈黙が占めるように
あわよくば神の沈黙を聞きなさい

息を止めなさい。
それを気にしていないかのように平然と。
しかしうっすらと命に支障がある程度の困難さで息を止めていなさい。

ソプラノ1名は息をしない状態で 以下の言葉を唇も舌も動かさずに 内臓と子宮のみで歌いなさい
  息ができない
  もうこれでは虫の息だ
  水中のような
  息づまる圧力だ
  息張って
  息切れして
  息が絶えだえになってしまうほどだ

不規則に顔を覆いなさい
手で口を覆いなさい
お互いから顔をそむけなさい
自らの顔から顔をそむけなさい

ソプラノよ、テノールよ、ボーイソプラノたちの首をしめなさい
ボーイソプラノたちよ これが何事も起きていないたんに新しく凡庸な日常にすぎないかのようにしていなさい

すべての者は息を止めなさい
可能な範囲で長く
可能な者は心拍も止めなさい

(間)

 

(間)

 

(間)

舞台を降りていたボーイソプラノ1名が無造作に 再び舞台上に戻ってくる

歯の隙間から鋭く息を吐くシューッという音をあげ、あちらこちらからだんだんと強めていきなさい

 

 第四楽章 深呼吸

さあ、息を吹き返しなさい。
復讐のように呼吸しなさい。

ソプラノたち 口笛を吹くときのかたちのすぼめた唇から、音ではないするどい呼吸の振動を上げなさい。
そしてここから、私たちの本当の呼吸が始まる。

吐く息が最後までついえたとき
人々は新しく呼吸しなさい。
すべての人々は呼吸しなさい。

一部ではベートーベンの第九を引用し 「苦悩を突き抜けて歓喜へ至れ」の旋律を、多くの者の唇によって フーフー・ハーハー・フーフー・ハーハー と呼吸のみで合唱しなさい。
全員で。なおかつバラバラに息しなさい。
吐くときには一致させて、吸うときにはバラバラにさせて。
従わない者がいてもかまわない。

メゾソプラノ 全員で息を合わせて  口笛を吹くかのように呼吸しなさい。
ボーイソプラノ 全員で息を合わせて 口笛を吹かないかのように呼吸しなさい。
なおかつ全員が一切息を合わせなくてもよい。

あらゆる者から、あらゆる呼吸で、あらゆる唇で、あらゆる歓喜で。
調律も楽譜も遠慮も配慮も指示も捨てなさい。
息を合わせて。顔を合わせて。唇を合わせて。両腕を合わせて。
家族同士で。恋人同士で。友人同士で。他人同士で。異者同士で。死者同士で。

歯の隙間から、舌を波立たせて。「ア」のかたちで 「オ」のかたちで。
口をすぼめて呼吸しなさい。口をひろげて呼吸しなさい。腹式呼吸で。音のない裏声で。熱を冷ますように。熱を与えるように。唾を飛ばしなさい。キスをしなさい。唾液をすすりなさい。鼻水を流れるままにしなさい。唇を突き出しなさい。大きな肺で。大きなのどで。大きな臓器で。大きな口で。大きな目で。大きな鼻で。大きな顔で。大きな生身で。

バス ぞんぶんに咳をしなさい。
ソプラノ 前に出て痰を吐きなさい。
アルト いくらでも人の顔の前で吸いなさい。
テノール 好きな方向に歩いて入り乱れなさい。

呼吸をぞんぶんにおこないなさい。
息をひそめる必要などない。音なき笑いを発しなさい。 声なき歌を発しなさい。
全力で息を、いき、活き、行き、イキ、生き、息をしなさい。
生命をかけて。自由をかけて。
死者に関しては声に出して歌ってもよい。

そして私たちは生きる。
呼吸をしなさい。深呼吸をしなさい。
吐きなさい。吸いなさい。
鼻穴で。口穴で。毛穴で。耳穴で。尻穴で。尿道で。眼球で。もう一度鼻穴と口穴で。あらゆる穴で。
目を開けなさい。鼻の穴を最大限まで広げなさい。
生きなさい。
ボーイソプラノたち、ソプラノたち、メゾソプラノたち、アルトたち、テノールたち、バリトンたち、バスたち、ここにいる者たち、残された者たち、残らなかった者たち。
腹式呼吸で。腹の底から。足先から頭頂部まで。
呼吸する管になりなさい。
呼吸に値する者でありなさい。

そして全員で深呼吸!

息を合わせなくてもよい。ただ前向きに、顔をそむけずに呼吸をしてくれればいい。
そして誰よりも子どもたち あなたたちは何よりも大きく口を開けて大きく呼吸しなさい。
腹の底から空気を吸い込み、最後列よりも遠くに息を吐きなさい。
強く、力強く。音よりも壮大に。
コントラバスよりも深く サクソフォンよりも激しく シンバルよりも衝撃的に 傲慢な指揮者よりも独断に。
泣きなさい。唾を飛ばしなさい。笑いなさい。唇で歌いなさい。
肉体を含めたあらゆるものをもろともせずに呼吸しなさい。
呼吸する器官になりなさい。 すべてのあなたたちは器官ある身体でありなさい。
何者にも邪魔されることなく。何者も気にかけることなく。
呼吸することをさまたげられないように。
息することをさまたげられることが決してないように。
あたりまえの呼吸で、ありのままの呼吸で。
果てしないほど長く息を吸い 果てしないほど長く息を吐きなさい。
深呼吸!

やがて人々は何の変哲もない凡庸な呼吸をはじめる。

 

  終幕

ブラヴォー!観衆は拍手ではなく歓声を発しなさい。
高らかに口笛と唾を飛ばしなさい。
おお!とどよめき、ああ!と嘆き、ええ!と言い合い、うう!とうめきなさい。
口々に語り合いなさい。キスをしなさい。歯を向いて罵りあいなさい。
抱き合いなさい、相手が他人だとしても。頬を寄せなさい、相手が死者だとしても。
この日を。この経験を。忘れないように。あらゆる人が脈動するこの瞬間の唇と肺と人体から生まれるすべての呼吸をいつまでも忘れないように。

 

 

 

 

KIKUI Yashin 2021 /Photo by Pixabay