愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【散文】 岩ぐるみ /耳ぐるま/鶸ごわれ(ひきこもり断想)

 

  岩ぐるみ

岩に閉じ込められて圧し潰されたまま五百年を生きた孫悟空における四百九十九年目の無言のように、この生き物はまた嫌だ、嫌だ、嫌だ、と身体を嫌がりむずがり、重いというよりもぐったりしすぎて弛緩しているために動かし難い感覚の、役立たずの、のろまの、ろくでなしの泥土に鬱屈した一本の寸胴な血管のような石猿が岩に潰されており、体内が沈黙で悲鳴を上げ、その悲鳴も圧し潰され、その押し潰された悲鳴が次の悲鳴を押し潰されたときに圧し潰された悲鳴を圧し潰す悲鳴を今あげて、耳が無音に窒息しながら、この倦怠の倦怠の倦怠は獰猛に、闘争的な悲嘆に喚き、バラバラかつ同体でできた双子の猿が惨状の膿汁をすすっている。倦怠のない青年期の飛翔した体躯にはもう戻れず、受容も折り合いもない絶壁の底にこの生き物の肉が圧し潰されており、我慢ならない無行為と、受け入れられない不行動に、またできないのか、まだできないのか、またできないのかという不能さに、自己規定が輪郭線を削ぎ落し、またできないのか、まだできないのか、またできないのかという無能さの岩が自体と同化してくるんでいる。

 

 

 

  耳ぐるま

私が原因を「語れない」なんて言わないでくれ、他人が声を「聞けない」んだ。どんな質問だろうが、質問者が答えを「聞けない」ためにどんな解答も意味をなさない。未知の言語のようなにいくら何を言っても何を答えても何度伝えてもそれが何万遍くり返されようとも意味をなさない。この口は腐らせられている。なぜこんな程度のこんなことをこんなにも語らねばならないのか。口を腐らされ愚かにさせられている。一方的に愚劣を付与されている。低俗を、下品を、野暮を、愚図を与えられている。私にこんなものを語らせるな。こんな価値のないものをこの口から発させるな。問題は口ではなく耳がないことであり、ただひたすらに耳が聞かないせいで語り手の口が悪いかのように、何億遍も原因の説話がくり返される。無意味、無意味、無意味、無意味、無意味な答えとして、無意味、無意味、無意味、無意味、無意味に聞き続けられている。無意味、無意味、無意味、無意味、無意味な耳がもたらすものはただ唯一、無意味、無意味、無意味、無意味、無意味な声でしかない。無意味を与えられ、無意味だと責められ、無意味を強要された対話の行き着く先は無意味以外の何だというのか。そして発された声は不意味に霧散する。意味がないというより意味にならず、言葉がならず意味ができない。私は不能者にまで堕落させられる。声の不意味不意味不意味が。その先にあるのはどこまでいっても不意味不意味不意味不意味の、不意味不意味不意味不意味で、不意味不意味不意味不意味が、不意味不意味不意味不意味

 

 

 

  鶸ごわれ

百年も卵の中で格闘していた鶸(ひわ)のように。ついに硬い外殻の揺籃をぶち破って熱核のような酸素に誕生できるという歓喜まであと少しだったよ、これでも。僕が小さかったころから、快晴の春が颯爽と吹きすさぶ風通しのいい住居には、無数のドアと窓と通路と出入り口があって、いつでも好きなように出ていけると、若々しい健康な希望をともなって展望の丸ごとを信じていられた。慎重すぎると言われようが、同世代がすでに出立しているという噂話が耳管で起爆しようが、僕は万全の態勢のために数十年に及ぶ旅支度を耐え、自分だけに顕著な、勇ましい始まりの時機を狙い定めていた。少年たちに比べれば年をとった分だけ体の衰えは表れていたが、まだやれるという信念どころか、これからが、これからこそが始まりだと昇進を希求するだけの気力は満身に、窓の外に広がる成層にひるがえるだけの両腕の筋力があるつもりだった。僕は他の奴らとは違う。今はまだ同類と見なされているが、野望を忘れ未来を追い求める気力を失くし、非力にあきらめていく他の多くの衰弱者共とは違う。そしてついに、いまだ力を忘れなかったこの腕が、いよいよ窮屈な内閉を突き破って外に出ようとしたんだよ。

でも開けようとしたドアは鍵で閉じられ、防弾ガラスで強固な窓は開かず、もっとも容易に進めたはずの道すらも行き止まりで、開け放たれていた窓だと思っていたものに近寄ればそれは描かれた絵にすぎず、実際は四方の壁が囲んでいるにすぎなかった。見渡しのよい平野はなく、青空はなく、街路樹はなく、地平線に向かってまっすぐに続きすぐにも青年たちに追いつけたであろうはずの路はなかった。では何が残されていると?そこにあるのは一人の青年の年老いた姿だけなんだってことを、待って。言わなくていい。誰も教えなくていい。黙れ。誰も何も聞かせるな。そんな声を言うくらいなら、僕の耳を破り取ってくれ、お前たちがかつてたやすく取り除いた卵の殻のように。