愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【断想集】すべてのクレタ人のための絶対的主観性による東京メトロ紀行

 

私は車内で『完全読解精神現象学』を開いてヘーゲル哲学の粋を東西線内の移動時間でマスターするつもりでいる。アプリゲームのドラゴンやイケメンやパズルのもろもろに没頭する愚かな凡夫たちなんかとは違って、私は脳内で遠大な歴史哲学を理解するために、ギリシャ的精神の自由が人間の絶対的主観性つまり喜劇において最高度に達する論理体系を読んでいるところ。私という学の足りない Not Japanese な個別性だって、学問を重ねて止揚していけばいつか象牙の塔に在住する男たちを上回って論じられるだけのキレッキレの知性を獲得できると思ったっていいじゃない?人類史の星霜に燦然ときらめく知の碩学たちがいる一方で、地べたの石の裏を這う蟲のような知の腐敗的かつ醸成的な弱者たちの暗がりもあるわけで、私はせめてその腐葉土の中の有象無象の一匹に加わりたいと思ってもがいてはいるんだけどああ意味不明な用語が多すぎるしもう高田馬場で乗り換えだよ。

 

東京メトロが自分らの車両で出している自社広告ではやたらと女が男に助けられてない?座席でスマホに目を落としつづけていないとどうしても目に入ってしまう、車両上部に備え付けられた荷物置きの高さにずらりと並んでいるイラストおよびマンガで描かれた公共広告のことだよ。そこでは時には突如体調不良になった女を男の乗客が慮ることで体調不良の際はお気軽にお声掛けくださいと広告し、時には車内で大泣きする赤子を連れて女が困っているときに若い男がベロベロバアとあやすことで赤ん坊も女も笑顔になって乗客同士がコミュニケーションって大事ですよねと広告している。体調不良で誰もが駅員まで気軽に声をかけていいのであれば、女が男に助けられる場面よりも、男が突発性の片頭痛を起こして女の駅員に助けられている方が効果的だったりしない?赤ん坊を一人連れている女が保育士でもない男に赤子をあやされてホッとしているのはいいけどその時男親はどうしているわけ?身寄りのないシングルマザーが助けられるよりも赤子のギャン泣きにあたふたする男親が経験豊富で心優しい女性に手助けされて安堵しているマンガの方が共同体への信頼を強めない?あとベージュ色の肌とストレートの黒髪をした女性たち男性たちのイラストではじめから外国人の造形が存在していないことは公共広告としてどうなの?結局これらメトロの秩序を維持せんとするための広告は私に鉄道内での良俗よりも日本民族の規範と本土のジェンダーを骨の髄宛てに浸透させている。