愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【エッセイ】死者は見える 死は見えない コロナウイルスに奪われた「日常」の悼めなさ

 

今回は、コロナウイルスと死についてのエッセイを掲載します。私が参加している『ひきポス』のウェブサイトに載せる予定でしたが、書いていてあやふやな内容になってしまったため、自ら廃案(ボツ)にした雑文です。

なお、この文章には、東日本大震災・自殺・殺人など、「死」に関する話題が多量に含まれています。ご注意になられた上でご覧いただくようお願い申し上げます。

 

荒浜町の風景(2023年4月撮影)

 

   死者は見える 死は見えない

 

コロナウイルスの死者は、日本国内だけで、七万人を超えている。
七万人……?
どうとらえたらいいか、わからないほど、大きな数字だ。
今でも、感染者や、死亡者は、増え続けている。
それなのに、どこか、コロナが終結したかのように、何もないかのように、日々が過ぎていくようになった。
毎日の死者数の報道も、今では、目立たなくなった。
苦難な記憶を、忘れようとするせいだろうか。
急速に、コロナの話題が、出なくなっているように思う。

これで、いいのだろうか。
これほどまでに、消えていくことが、たやすいものなのだろうか。
たしか、東日本大震災の時は、ここまでの急速さでは、なかったはずだ。
二〇一一年の、東日本大震災のあとは、長いあいだ、死者・行方不明者数の報道がつづいていた。
原発の、放射線量の報道も、長くつづいていた。 
(本当は、あまりにも短い期間だった、というべきなのかもしれないが。)

私は、今年の四月に、宮城県を周る旅をした。
石巻や荒浜へ行き、震災遺構や、祈念施設のいくつかを、見てまわった。
そこでは、震災と津波をめぐる記録があり、地域別の死者数の、詳報などがあった。
震災から十二年を過ぎても薄れない、犠牲者への哀悼があった。

荒浜の海岸線

しかし、それはコロナ禍において、死者との距離感が狂うような、体験でもあった。
死が、遠近法に従っていなかった。
ある地域では、震災によって数十人が亡くなった、という。
ある地域では、津波によって数百人が亡くなった、という。
詳細な掲示の前に立って、しかし、コロナによって、何十人、何百人もの人が、現在進行形で、死者となっている年月のさなかでもあった。
コロナによる死者たちは、震災遺構のような施設も、残りようがない。
特定の災害現場がない以上、祈念碑も、ほとんど、建てられないだろう。

大震災と大津波は、土地と人々に、悲壮な爪痕を残した。
それは、いわば、「見える死」だ。
記録にも、記憶にも残る。現に、十年以上を経ても、残っている。
同時に、社会的には「見えづらい死」も、どれほど多大に起きてきたか、と思う。
二〇一一年においても、年間の自殺者数は、日本全体で、三万人を超えていた。
それは、東日本大震災の、死者・行方不明者数を合わせたよりも、大きい。
本当は、東日本大震災ほど大きく、後世に残るべきことが、日本では、見えないままで、多発していたのではないか。

精神科医の、斎藤環氏は、コロナの感染拡大が起きた当初から、パンデミックの後世への「残りにくさ」を、指摘していた。
たとえば、コロナの「始まった日」がいつなのか、誰も、答えを持っていない。
仮に、「コロナウイルスの祈念日」を作るとしたら、何月何日がふさわしいのか。
「3.11」や、歴史的な事件が起きた日のようには、定められない。
社会で共有できるような、出来事の記憶が持ちにくい、と指摘している。

コロナは、異常な「事件」であるにもかかわらず、ずっと、「日常」に終始した。
はじめは、「新しい日常」という標語が、使われていた。
今も、「ようやく日常が戻りつつある」、という言い方がされる。
「日常」から、別の「日常」へと、移り変わるだけなのだろうか。

はっきりとした「事件」は、死者のことを伝え、人々の記憶に残る。
一方で、あいまいな「日常」の中の死は、見えづらく、記憶に残りづらい。

ひきこもりにおいても、「見える死」と、「見えない死」がある。
2019年には、川崎市登戸で、通り魔の「事件」があった。
何人もの死傷者を出した犯人には、「ひきこもり傾向」がある、と報じられた。
(練馬で、元農水省事務次官が、「ひきこもり」の息子を殺害した、という余波も起きた。)

そのため、「ひきこもりは犯罪者予備軍だ」、とする論調が、一部で沸き起こった。

「ひきこもり」全般への、冷静さに欠ける、バッシングがあった。
殺人ともなれば、社会的な「事件」であり、「見える死」がある。
私は、「事件」において、亡くなられた方々を悼む。
それとともに、「日常」の中に埋もれてしまう、「見えない死」も、どうにかして悼めないか、と思う。

「見えない死」は、本当は、「見える死」の数千倍・数万倍の多さで、起きている。
最大の例は、自殺だ。
「ひきこもり傾向にある人」が、殺人を犯してしまったとき、それは、「事件」として、報じられる。
一方で、「ひきこもり傾向にある人」が、自殺をしてしまったとき、よく見えるかたちでは、報じられない。
「人が死んでしまった」、ということにおいて、「ひきこもり」を責めるなら。
「人が死んでしまった」ということにおいて、「ひきこもり」を悼むための、膂力にならないだろうか。
統計の数字には残っても、人々の記憶には残りづらい、「見えない死」がある。
見えない死者たちは、どこへいったのか。

コロナウイルスは、自殺というかたちによっても、「見えない死」を多発させていた。
コロナ禍のこの数年、特に、女性の自殺が多くなった。
また、子どもの自殺が、異常に増えた。
私自身も、コロナ禍になってから、たびたび、自殺を考えていた。
(それまで考えていなかったわけではなく、現在も、考えていない、とは言えないにしても。)
当然、一つ一つの自殺は、悲痛な出来事だ。
しかし、大きく報じられる特定の「事件」と比べると、その死が見えない。
誰が、いつ、どこで、どのように亡くなったのか、が、見えるとはいえない。

コロナは、「見えない死」を充満させている。
元から、自殺という、死に、暗い霧のかかる、世の中だった。
そこを、さらに、暗雲のような、見え難さに包んだ。
これでは、死が透明すぎる。見えなさすぎる。
これまでの数年も、これからの数年も。
私はせめて、その見い出し難いものに向けて、目をこらしておくようにしたい。