愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【詩】「禽獣(きんじゅう)」


   禽獣


「絆」という言葉はむかし
家畜をつなぐ道具の意味だった。
大勢で歌われるには不向きな
綺麗でもない原義がある。
もっとも絆とやらの内実には
ずうずうしい調教もあっただろう。

守りたかっただけの命綱が
いつしか首吊りをさせている。
そばにいようとしただけの錨が
いつしか監禁の鎖になっている。
それを愛情などと名付けて
私達はお互いに勲章と喪章とを飾る。

しかし 一度は強く繋いだ糸が
年月にほどけていたと知ったあと。
吊り橋になってくれた結びつきが
千切れて渡れなくなるのを見つめたあと。
幾度かの馬鹿げた手遅れを経て
私達は痛恨の学習をする。
絶対に掴んでいなければならないものもある  と。

私はけだもののような絆によって
原義で捕まえられていたいと思う。
そして捕まえていたいと思う。

出会いを意固地に維持するなら 
偶然の固結びでは足りないのだ。
のんきに心の磁力など信じて
適当に繋がっていては途切れるのだ。

獣を引き止めておくような腕力で
荒縄に豆ができるような泥の指で
掴んでいなければないものがある。
それが牛の鼻輪のように無様でも
引きずられる子供のようにひ弱でも
この小さな人生でたったわずか
決して逃してはならない禽獣がいる。

歳月の荒原に暴雨打つ中
別れへと走る太い首を
私達は引き止めていなければならないのだ。

 

※何年も前に制作した詩が出てきたので掲載します。当時流行していた「絆」という言葉に対して、詩によって応答としたものとなっています。