愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【断想】失調統合症(女という汚名ではなくて)

 

女という汚名ではなくて
私はふつうの名前に耐えていないといけない

 

死よりマシな一日を生き
死よりマシな一日を眠る
その一生が死よりマシかどうかはともかく

 

大量生産された名前が
私を初めて個人にする

 

過去が現在すぎるときに
すぐ眠れるわけないでしょ

 

同僚は失調統合症
これに罹れると賞与が出ます

 

時給のために生きていると
二十四時間が長めに死ぬ

 

誰もが自分だけは違うって思ってるよ (わたし以外は)

 

積み上げるための教室で
壊れ方まで教習されてきた

 

たくさんの偽名から本名が生まれる

 

今日も病気が元気です

 

共生ではなくて お互いがお互いに寄生して
お互いがお互いを生殺しにしていたいくせに
私だってあなたの幸福の偽装に協力しながら

 

名前を知っていないとき
私たち他人に他人すぎる

 

わたしが話す言葉のうち
じぶんの名前だけ外国語

 

伐採されるために生えてくる農作物みたいに
搾取されるための教育が生え伸びて称賛された

 

名前を埋めていったようで
名前に埋めたてられている自分

 

自分の家畜になって減っていく若さの肉
社会を喰わせていってやった先に年金を払う
ちょうど完済したころに老躯は心筋梗塞
ローンを払い終えた住居から病室に移れます

三十年も文字だったのに
名前が私を書けなくなる

 

自分が私の名義であれないときに
公共の夫は喜んでいますよね

 

お互いが長い間黙りこんでいると
女だけ改名されている瞬間がある

 

あなたに呼ばれるたび
わたしの本名が薄くなった

 

苗字の上で銅像になっている男。
苗字の下で台座になっている女。

 

あなたたちったら胚胎ばかり見て
レイプできたことまで喜んでしまう
わたしったら出産届けばかり用意して
名前がまた意味を流産していく

 

名前にロープをかけて首を吊る
名前に登りつめて投身する
名前に沈みこんで溺れる
名前に炎上して焼けこげる
名前に挟まれて圧死する
名前にわたしが生きていないなら

 

名前に病み
意味に臥せ
他者に絶つ

旅に出る時はまず名前を下ろして
そのあとで荷物を担ぎ上げること

 

昨日には昨日の昨日がある
明日には明日の明日がある

私に私の名前がなくてもね

 

 

【断想】ぼくは自分から他人すぎる

 

昨日に僕は戻る
そしてそこには誰もいない
誰とも待ち合わせていない
昨日に僕は戻る
そしてそこには誰もいない
昨日で僕は待っている
そしてそこには誰もいない

 


   ・


笑顔は口よりも大きい
まなざしは目よりも重い
大きさと重さで
子供の顔はつぶれた


  ・


ぼくは社会から自分すぎて
ゆえに自分から他人すぎる


   ・


大人たちの目がまなざしを着て
子供の顔は粛清される
たくさんの隊列のために用意された
制服は僕の分もある


  ・


自分が他人たちの真ん中に立つとき 
僕ははじっこにいるようにしている
それで他の人たちの顔と一緒に
僕の顔が僕であるものをあざ笑える


  ・


いつのまにか痛かったのは
銃弾の幽霊がぼくをつらぬいたせい
いまでも透明に痛んでいるのは
先生に祓っていただいたせい


  ・


僕は僕の顔を演じている
僕ではなく


   ・


乾いた砂を素手で必死にかためていって 
それでできあがるものがしょせん砂の城でしかないような調和


  ・


仮面を重ねていくと顔になる
偽証を重ねていくとまなざしになる
他人を重ねてできあがる自分の
虚栄を重ねてできた人生の果てにある死


   ・


子供:丸腰の人間。


   ・


頭がいっぱいであるみたいに
ぼくはもう顔がいっぱいです


   ・


みんな全身が顔になっていていいな
あの子たちは教室で顔を鍛えられた
ぼくも体は卒業したけど
今もまだ顔が留年してる


  ・


母乳だけじゃない
こどもは
まなざしを飲んで大きくなる


  ・

 

 

 


ちょっと待ってもらえる? 
いま僕の顔むこうにあるんだ

 

  ・

 

まなざしがかた結びされて
僕は母の顔から離れられなかった

 

  ・

 

その舌の根にはいつも装わない顔が収納してある


  ・


あの子は家族の誇りだったんです
誰からも望まれた優秀な家畜で


  ・


母は我が家の幸福の調教師だった


  ・


大人になってから出している青色申告
それが僕という人間の飛び地
来るなら夕暮れの便でやってこいよ
お前を離陸させる航空便が必ずある

通知表をもらわなかった子供がいたでしょう?
あれが僕という人間の本土
その国にだけはパスポートがない
その国に帰る舟は必ず沈む


  ・


昨日に僕は戻る


そしてそこには誰もいない
誰とも待ち合わせていない
昨日に僕は戻る
そしてそこには誰もいない
昨日で僕は待っている


そしてそこには誰もいない

 

 

 

【断想】義肢 義顔 義僕

 


昨日に僕は戻る
そしてそこには誰もいない
誰とも待ち合わせていない
昨日に僕は戻る
そしてそこには誰もいない
昨日で僕は待っている
そしてそこには誰もいない

 

 

  ・

 

お前のまなざしが顔を彫ると
僕の仮面が発掘される
お前がそれを付けると
お前が見られている僕の顔をする

 

  ・

 

なごやかに溺れ続けている自室の平原

 

   ・

 

黙り込んだ顔たちの合唱に
僕の瞳の中で潰れた鼓膜

 

   ・

 

まなざしの降り積もった雪原がいっせいに僕を見ている
そのように冬の夜となる椅子が一人の自宅にあります

 

   ・

 

窃視されることの悪があったときに
視線は証拠となる指紋を骨の内側だけに残していく

 

  ・

 

生のような眠り
死のような目覚め

 

  ・

 

晩冬のように過ぎた真夏
夕暮れのように過ごした昼
戦のように耐えた平和
死のように過ぎた一生

 

  ・

 

教室:顔の闇市

 

  ・

 

正常ごっこがうまくなってからぼくは異常にも卓越できるようになりました

 

   ・

 

人間 顔だけは神様に似なかったろ

 

  ・

 

お互いバッテリー交換みたいに顔を取り外して生きられたらいいのにな
靱帯断裂した頬にボルト入れてくれよ
二度と壊れてしまわないように整形手術して
もう人の視線で撃たれても大丈夫なくらいの面の皮を

 

  ・

 

毎日栽培している顔で自給自足
組み立てるIKEAが安いじゃないですか
Amazonみたく送料もいらないじゃないですか
だから誰だって自分の顔が安いんだよ
僕は全身を売ってギリギリで家賃払ってる

 

  ・

 

体の方は無休でいいからさ
顔だけの休暇をちょうだい

 

   ・

 

愛想笑いの後遺症で自殺しそうなゆるキャラみたいな気分

 

   ・

 

ふつうであることがギフテッドなのに?

 

  ・

 

いいねにみじん切りされて
大量の熱視線に焼かれる若い肉
お前たち顔の畜産を無料で味わいながら
男たちは笑顔の生産物をたいらげる

 

  ・

 

「うんこ味のカレー」と「カレー味のうんこ」みたい
「ぼくが一人ぼっち」と「全員がぼく」だったらどっちのクソ?

 

   ・

 

ご自分が正常であるってことの根拠をあなたはもってらっしゃいますか
その根拠を明白に出せないようならあなたは正常ではありません
そしてその根拠を明白に出せるようなら正常ではありません
人の正気を奪うのは常に一方が問われてしまった瞬間にあります
返答する者でしかあれなかったってことがいつだって僕の落ち度でした

 

  ・

 

透明でない顔などない

 

  ・

 

義肢ではない
義僕を付けてはじめて僕が歩ける

 

  ・

 

赤ん坊の頃の歯痕が残ったプラスチックの玩具
当時の栄達を超える瞬間がこの生涯のどこにあったと?
僕も加わるから居所を教えて
死ごと死んだヘンリー・ダーガーたちの墓地を

 

  ・

 

昨日に僕は戻る
そしてそこには誰もいない
誰とも待ち合わせていない
昨日に僕は戻る
そしてそこには誰もいない
昨日で僕は待っている
そしてそこには誰もいない