愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【詩】椅子 あいちトリエンナーレ 「表現の不自由展・その後」中止に寄せて

   椅子  

いまも世界で 
誰かが椅子に座っている。

一生をともにするかもしれない
出会いの椅子にも
遺恨を残す
追憶の椅子にも。

南向きのテラスにそなえたベンチ。
子どもたちがステージを観る劇場S席。
病院の廊下に並ぶ細長いオレンジ。
夜行を待つ人々への慰撫。
大陸の農夫にとっての倒木もまた。   

悲しみさえも擦り切れたような
いくつかの椅子が世界にはある。
   少なくとも今日 
   確実に一つは。

教育されねばならなかった室内。
七十年目の国境線。
なおも再会することのない家。

ある人の
座ってきた椅子の数はいくつだろう。
ある人の
座りたかった椅子の数はいくつだろう。

いまも世界で 
座りえなかった椅子を思う人がいる。
   少なくとも今日 
   少なくとも私は。

長い歳月を経て
椅子は座る者の腰骨を曲げた。
このおなじ椅子でもう十年。
このおなじ椅子でもう三十年。
恥辱を支えて立ち上がるためには
二本の足ではたりなかったのか。

冷朝の木床に足をおろして
少年が朝の新聞配達に走り出す
そのような清冽な始まりはもうないか。

小さな足裏に国をかけて
歴史の地面から引き剥がす。
他の誰でもない者の椅子に
重さを荷わせられなかったのか。

  少なくともこの時代に
  わずか一人分の重さを。

 

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