愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【散文】離岸(ひきこもり断想)

 沖合に孤立してあえいでいる私に、人はなぜ愚かに溺れているのかと問うだろう。だが独りぼっちの漂流の始まりはささいな流れだった。足のつかない海洋に身を浮かべていたとき、予想よりもほんのわずか岸辺から遠のいていたにしても、健康な手指で少し水をかけば岸にたどり着けるだろうという妥当な判断があり、拙速ともいえないものが生じる程度の取るに足らない予断があるだけだった。思うよりほんのわずかに強い波の流れがこの体を沖へと流したが、それでもまだ力を入れて泳げば浜辺に戻れると思える程の遠泳でしかなかった。だがふとした潮流、力を奪う渦の悪戯、不注意ともいえないほどの不注意、まだ間に合うはずだという希望的かつ正当な経験則、気まぐれな災いを起こす海流が、自身のいる位置と泳力の判断を狂わせ、いつしか浜辺を思いのほか遠のかさせていた。沖へ沖へと流されるなかで、それでも岸辺が見えている以上いつかは戻れるだろうとあがきつづけた波濤の日々のうちに、潮流は荒く体をつかんで離さない年月の海洋となった。自力で岸に戻ることができないほどの、取り返しのつかない遠距離となり、私を無視して高さを競う波のなかで岸辺を看過しては、焦りながらあらぬ方向に漕ぎ出し、自らの進むべき方角を見失う。もはや声を上げたところで悲鳴も救援要請も届かず、己の身を嘆くばかりになる。私は犠牲者になりながら、遠くで嘲笑う批判者たちに弁明する。始まりはほんのわずかな離岸でしかなかったのだと。