愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【散文】後背(ひきこもり断想) 

   後背

私は「後ろ」にいる。声もなく、影もなく、「いない」という数にも入らずに。語っていないということを伝えられず、数えられていない者の統計がとられず、忘れ去られたことを忘れ去られている位置に。私は一度として記憶されたことがなく、かつて誰からも思い出されたことがないものでできている。恵まれない境遇を打破する機会がおとずれないアンダークラスとして「下」にいるのでもなく、器用にも机上で憐憫される透明なサバルタンでもなく。「左」でもなく、「右」でもなく、先進的な解決策を探る有能で意欲高い人々の作為的な「前」でもなく。私はあなたの眼球の後ろの居住地にダンボールとブルーシートを広げて生きながらえている。今でも紙の新聞を読むような高齢者たちの「後ろ」、左手に指輪を付けたまま生活できるような善良な市民たちの「後ろ」で。社会学者の眼鏡のフレーム内に納まらず、富裕層の予測変換のアルゴリズムに検知されず、行政の正規職員の業務フォルダにも姿を現さない。何万の人々が私の本籍地を取り決め、定住地を用意していたときにも、私はすべての人の眼前に目されていなかった。私の顔のあるところで私を目撃したなどという誤報から、好色な記者が虚偽報告を綴り、たくさんの目で拡散された時にも。あなたたちの政治に 投票に 民主制に 時代に 私がいない。私は車輪の下に轢かれ、網の目からあぶれて、アナーキズムからも弾かれた。私は貧困層の水平におらず、低所得者層の地層に沈んだ無数かつ無名の砂利でもない。不可視層の深部に名前の光も入らずに、「下」にいる我々として声を上げる共闘者とも出会うことのない「後ろ」にいる。背後の、背面の、背景の、目に見えない、撮影者の裏側、売文家の後背、前を向くすべての者の死角に。私は「左」でなく、「右」でなく、「下」にいない。私は「後ろ」にいる。名前に私が思い出されずに、忘却すら私を忘れながら。