愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

詩「『十年』のトリプティーク」


「ひきこもり新聞」との最初の接点は、私が以下に載せた「十年」の詩を送ったことでした。結局は掲載の予定になりませんでした(つまりボツになりました)が、そこからエッセイを書くことにつながりました。個人史をふり返ってみれば、縁をつむいだ重要な詩作だったといえます。

「トリプティーク」は三連画という意味の言葉。ひきこもりを主題とした三つ続きの現代詩です。

 

 

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 「十年」のトリプティー

 

   Ⅰ

まるで温室で薔薇をなでているとでもいうようだけど
僕は十年間かけてゆっくりと殴られたみたいなんだ。
細雪も積もっていけばあばら屋をつぶすようなもので
人はまなざしだけで加害者になることができます。

朝八時にはいつだって寂しげな戦地がやってきたから
僕は僕であるところのものからの疎開をせねばならなかった。
コンビニや学校のある平凡な道すがらとかで毎日
あなたには顔で殴られるって気持ちがわかるかな?

ベッドもテーブルも前世紀から位置を変えていない
あと石膏で固められた空気の中にいる僕もだ。
やっぱり窓の結露が流れ落ちるのはおかしいと思う
まるでまともな時間の流れがあるみたいに落ちている。

取り囲んでいた大人たちは太った目を向けていて
僕は今でもみどり色に行列した笑顔をおぼえている。
絹で編まれてできあがっていた赤ん坊のころから
大きな拳がずっと胸ぐらを掴んでいたっていうことまで。

全身が骨になる病気っていうのがあるって知っているかな。
それの人生版みたいに固まりながらひしゃげているものがある。
大きな岩でも年月の水滴で穴が開くでしょう。
僕は骨のみぞおちが曲げられたので人間がヘタになった。

十年間かけて命ごと打ちひしがれたというのなら
立ち上がるためにはまた十年がいるのかもしれない。
もし人が物にぶつかると倒れる生き物なようなら
どうか僕が弱すぎることばかりを理由にしないでくれ。

朝焼けのまぶしさには血痰のような嘆息が出るし
謎の微笑みにあうと骨の全身が悲鳴に軋む。
ある四月二日の大気のぜんぶが顔でできているという場合
あなたの十年ならどうやって日焼けから身を守れたって言うんですか?


   Ⅱ

なにもないまっすぐな海岸線を
影のカモメが飛んでいく。
やすらかな発育の白い脚たち
かろやかに夏をまたいでいった。
ぼくには立ち上がることのできなかった
今では年月になったたくさんの日。

ひとりぼっちの海水浴場だった
沖に出てどれほどが過ぎたのか。
ゴムボートのなかの楽園に
波は揺れ 年月は揺れ
ぼくは涙を沸騰させた飲み水で
めぐりくる日没を耐えていた。

しなだれてくる人のかたちを
内側から支えてひっぱっている。
ぼくだって救ってあげたかった
けどまるで〈十年〉みたいに
ぼくは抱きとめることができない。

  ......mew

しあわせはなんていうところに
ぼくをおきざりにしていった?

ほんのすこしだけ強かった水圧が
ほんのすこしだけやわらかだった心臓をつぶした。
人の底に沈んでいった歳月が
ゆっくりと圧されているあかるい昼間。
太陽はいつも深海を連れてきて
悲しみが涙では間にあわない。

静穏な室内の輪郭を描きだしていた
夏の破片が色を失っていく。
ぼくは海の大きさにしがみつきながら
もっとも深いところに沈んでいく船を知っている。
夕暮れには峻厳な光をともなって

  mew......!

やわらかいやさしさが
ぼくの人生を万力でねじまげている。


   Ⅲ

日付を見ると十年も前の
棚の後ろのレシートを拾う。
単純な年月だというのに
多くの物が生活を過ぎた。

束ねたままの古い雑誌。
引き出しの中の不要なネジ。
どうでもよいものに囲まれた
どうでもよい生き物だった。

今朝は一番冷えたのだと
ニュースは明るく話していた。
そのあとの事故死の報道で
同名の人が亡くなっていた。

棚の後ろに落ちていた
誰にも気づかれない十年。
私はクズ箱の暗喩を
厚着して忘れたふりをした。

ゴミ袋一つ持ちドアを出る。
薄明の歩道の複雑さに
ふと自分の歩き方を忘れた。
街が地元だったことはない。

電線に落書きされた住宅街は
モルタルの色をして積もっていた。
「あなたは生きていてもいい」と
誰も告げていない静けさ。

色調の落ちた石壁に触れ
上着の袖に塗装の粉が付いた。
ゆっくりと死んでいくという願いは
いつだって叶っている途中だ。

十二月の日曜に人は少なく
街は静穏な日常を過ごしていた。
パチンコ屋の前で風船が一個
しぼんで地面を漂っていた。