愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

絵を描く作家たち 酉島伝法、ブッツァーティ、ムロージェク他

 先日、酉島伝法の『宿借りの星』(東京創元社 2019年)を読んだ。異形の者が「本日はお皮殻(ひがら)もよく」というような、造語をはじめとした創造力と遊びに満ちており、SF的世界に耽溺できる小説だった。

 しかし個人的に注目したのは、著者自身が写実的な絵も描いていることだ。小説家の落書き的な余興ではなく、本格的に見せるものとして描画表現を出しているのは珍しい。

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『宿借りの星』の冒頭。視覚的な意味で読みづらい文章。

 数多くの絵本作家と、数少ない詩画集の作り手(古くはブレイク、20世紀ではジャン・コクトーなど)をのぞけば、たいてい文章と絵は別のものとして発表される。私としては、商業的な分類の都合さえなければ、わりと簡単に共存できるものだと思っている。児童文学や一部のバンドデシネなどは文と絵のボーダー上にあり、消費者の多くが慣れさえすれば、文と絵が混在した作品も増えるのではないか。

 とはいえ、中には堂々と作家兼画家として活動したアーティストもいる。今回は、何人かの「絵を描く作家」をとりあげる。


イタリアの奇想作家 ブッツァーティ

 絵も小説も書いた近現代の作家として、ブッツァーティ(1906-1972)の名が挙げられる。イタリア出身の短編の名手で、『タタール人の砂漠』、『神を見た犬』など、幻想的で切れ味のある作品を著し、国際的な評価も高い。いまでも新たな翻訳が刊行されていることからすると、日本でもファンが多いようだ。

 画家としてのブッツァーティは、翻訳もある『絵物語』(東宣出版 2016年)で堪能することができる。絵に添えられた短文の相乗効果によって、二次元にとどまらない想像力を湧出させる。作家の短編と同様、わずかな手がかりが世界の秘密を解くカギを与え、味わい深い鑑賞/読書となる。

 

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画像は「部屋」。男は部屋の中で、いつまでも扉にたどりつくことができない。

 作者自身の言葉がふるっている。
 『わたしは画家なのだが、趣味として、遺憾ながらいささか長い間、作家やジャーナリストの仕事もやってきたのである。ところが世間は、その逆だと思っている。だから、わたしの絵を真面目に受け止めることができないのだ。』

  作家が亡くなったのは65歳(1972年)だが、画家としてパリで初個展を開いたのが61歳のとき。最晩年にして公開された「本職」の才能だった。

 


東欧が生んだ希代の諷刺家 ムロージェク

(※諷刺作家ファイルNo.18)

 

  ムロージェク(Mrożek 1930-2013)はポーランド出身の作家で、欧米では劇作家として知られている。個人的に大好きな作家で、諷刺的な切れ味の素晴らしい短編集『所長』、『鰐の涙』、『像』が出版されている。検索してもなかなか出てこないが、ユーモラスな戯曲もいくつか翻訳出版されている。(「大海原」なんて傑作だと思うが、古いし戯曲だしで再評価される機会もなさそうだ。)

 ムロージェクが描くのは、概して真面目な人々だ。「社会的動物」たる人間として、あれこれ気を使いながら、勤勉な市民であろうとする。しかし世の中のシステムが根本的に不条理であるために、どうしようもなくポンコツな結果を生みだしてしまう。ファシズムや20世紀の大戦でも見られた人間の業が、わずか数ページの短編から感じられる。社会制度を皮肉る優れた喜劇作家であると思う。

 戯曲や散文で発揮されたムロージェクの才能は、マンガにまではみ出していた。それらは翻訳された短編集のあいまに、オマケのような具合で掲載されている。

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 絵そのものは制作時間数秒と思われる1コマ漫画が多く、ジョーク、気の利いた一言、哲学的なちょっとした考察などでできている。ジャーナリストとしても活動した作家であり、新聞に載せる諷刺画を自前で生みだしたようなものではないか。けれん味のある短編と1コマ漫画は、表現として遠いものではないことがわかる。

 


児童書界の孤独の描き手 R・チムニク

(※諷刺家ファイルNo.27)

 チムニクは1930年、現ポーランド領に生まれた作家だ。『クレーン男』や『タイコたたきの夢』は一応児童文学の分類になっているが、豊かな寓意性を宿した苦味ある名編である。作家自身による挿絵は、デザイン性の高いユーモラスな人物造形がなされている。しかしモノクロの線の細い描画は、人間の孤独を示して雄弁である。若くして『熊とにんげん』でデビューしているが、その作品からすでに描いているのは孤高の存在だ。チムニクが一貫して描くモチーフであり、絶海の孤島にたった一人で生き、死んでいくかのような人生観から生まれ出たものだ。

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画像は『クレーン男』(パロル舎 2002年)から 


その他の描き手/書き手たち

 「小説家」以外も含むが、「絵と文」を同時並行して発表している作家を紹介するもの自体がなかなかない。この機会に何人かの名前を並べる。

 

A・ジノビエフ
 論理学者で小説家で詩人で諷刺画家。『劇画詩集 酔いどれロシア』(岩波書店 1991年)で詩と絵を観ることができる。子どもの頃に初めて学校で描いた絵がレーニンの諷刺画で、即休学をくらったという伝説をもつ。これは諷刺画家のエピソードとして最高の部類であろう。

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ヘルマン・ヘッセ

 20世紀を代表するドイツ文学の名匠。40代から水彩画を始め、小説の世界にも通じるような風景画を残した。岩波書店の同時代ライブラリーに、『色彩の魔術―ヘッセ画文集』がある。

 

草間彌生 

 世界各地の美術館で、来場者数の新記録を叩き出している現代アーティスト。小説に『クリストファー男娼窟』(1983年?)があり、華美で過剰な文体によって世紀末的世界を築いている。

 

クリヨウジ(久里洋二

 20世紀のアニメーション界に名を残す人物で、ナンセンスなイマジネーションはアートの分野にまで影響を与えた。小説を何冊も出しており、カラッとした能天気さに持ち味がある。星新一阿刀田高なら話のオチをつけるだろうところで、シュールな展開をシュールなままで放り出す自由さがある。

 

北野武ビートたけし

 芸人・タレント・映画監督・音楽家・現代アーティストであるとともに、小説家で画家でもある。世界各地で開かれた個展も好評。私は以前、東京オペラシティアートギャラリーで開かれた企画展を鑑賞したが、「生みだせるものは何だって生み出していい」と宣言するかのような精神は、大いなる感化を受けるものだった。

 

吉増剛造

 現代詩の最前線に立つ詩人で、年を重ねるごとに激しさを増している。詩的表現がいきすぎて現代アートと同化しており、国立近代美術館などでの個展も開催された。詩人なのでもちろん散文も書いているが、絵画、写真、映像、朗読(音楽)と、表現のボーダーを越境する。詩集自体が視覚的な効果を極めており、時に渦をまきながら文字が小さくなって、途中から読めなくなるような作品もある。それらは識字と視覚面での知覚の能力がすぐそばにあることを伝えている。

 

 

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