愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【メモ】「媒体練習」他

 

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「媒体練習」

レイモン・クノーの「文体練習」のように、同一の出来事について書いた文章を、さまざまな媒体を用いて制作する。

〈例〉 PC(キーボード入力)、スマホフリック入力)、声(音声入力)、原稿用紙(直筆)、口述筆記(代筆)、筆(書道)、石板(彫刻)、活版印刷(植字)、舞台上演(朗読)、外国語(翻訳)、ツイッター(ツイート)、フェイスブックSNS)、クラブハウス(発話)、会話(口承) 他。

 

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「媒体練習(2)」

「文体練習」と同一の出来事を、マーケティングの年齢・性別区分(M1層向けなど)、および特定のビジネス誌女性誌・児童雑誌などの文体に分けて執筆(もしくは外注)する。

 

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都市の非広告化

特定の日時に、都市の駅前などの広告スペースをすべて同一の単色にする。

(例)・10月1日(ピンクリボンデー)に全面をピンク。
・8月6日の広島で全面を白紙。

 

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ゲーム的演出版「楢山節考」上演

現実では不自然だが、ゲーム上では自然とされる言動(固定した表情の人物が、均質なモーションによって走行し、至近距離で視線を合わせずに、同一内容のセリフを繰り返すなど)のみを用いて「楢山節考」の上演をおこなう。

 

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テレビゲーム版「東京物語

 

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初代「FFⅦ」の忠実な実写映像化。

厳密に実写化であり、初代プレステ時代のポリゴンの特殊メイクをほどこし、舞台美術も画素数の低い平面的なセットが用いられる。

 

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「自画像」の文藝

年に一ページだけ、自分の顔の精密文章をおこなう。毎年描写し、50年で50ページの作品が描かれる。

 

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「樹木」の文藝

年に一ページだけ、同一の樹木を描写する。種植え、苗木、成木から朽ちていくまで、人間の世代をまたいでつづけられる。

 

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東アジア文学専門のサブスク

韓国語、中国語などの最新の文芸作品を、最速で翻訳して読めるようにする月額定額制・読み放題のWEBサービス

 

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ピカソVR

キュビズムを球体で見せる。

 

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フランシス・ベーコン3D」

例の怪物が立体でうごめくようにする。

 

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本屋大賞・現代詩部門〉設立

 

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映画評論家たちによる〈存在しない映画〉のレビュー集

未完成の遺作・未公開作・企画だけ存在した作品などを、真剣に評論する。

 

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敬語翻訳アプリ

適当な文章を入力しても、相手に応じて丁寧語や俗語に変換してくれる日本語翻訳アプリ。

 

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作家のための比喩創造アプリ

特定の単語を入力すると、検索結果などから単語同士が微妙にへだたった意味を持つ言葉を抽出する。

 

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ツイッター依存症の防止対策

ツイートするたびに、エリック・サティの「厚かましさ」(40秒)が最大音量で流れる。また、アプリを強制的にアンインストールすると、「ヴィクサシオン」(18時間)が終わるまで機器の操作ができなくなる。

 

さようなら「現代詩手帖」 詩をつまらなくさせた男性詩人たちの半世紀

「ふーむ」彼は言った。「韻律が強調している超現実的な隠喩の裏には、か……」しばらく考えてから、ぞっとするような笑みを浮かべてノートを閉じた。

「あんなやつら、なんど殺しても殺したりん」

(ダグラス・アダムズ『銀河ヒッチハイクガイド』)

 

現代詩手帖2021年4月号(雑誌)

 

「ふーむ」

あるおだやかな午後のひととき、私はコーヒー片手に「現代詩手帖」を読みながら、ふと思った。

 

「この雑誌つまんないな」と。

 

現代詩手帖」は硬派な見た目と紙質のせいでとっつきにくく、二段組みの構成が多いためオシャレさが皆無。

イラストや漫画でウィットを加えることもなく、最果タヒのポップな作品が出ているときでも、自ら明るさを消している。

毎号紙面全体が必要以上に沈鬱で、若々しい生命力が感じられない。

追悼特集号だったとしても、さすがに重苦しくさせすぎではないか。

 

文芸情報誌の「ダ・ヴィンチ」のように、見栄えをよくする手ならいくらでもあるはずだ。

凝ったブックデザインの詩集や、オシャレで読みやすい詩のアンソロジーも出ている。

数年前に出た「早稲田文学増刊女性号」(川上未映子編)は、詩作品の魅力とともに本全体の編集が素晴らしかった。

私はこれまで詩によって幾多の慰めを受けてきたし、詩によって生きていくたくましさを与えられてきた。

だがそんな精神のたくましさが、「現代詩手帖」では得られていない。

ダ・ヴィンチ 2021年3月号 [雑誌]

早稲田文学増刊 女性号 (単行本)

 

退屈を感じる理由の一つは、高齢男性の価値観が全面に出すぎているためだと思われる。

最果タヒとか三角みず紀とか文月悠光とか、今生きている女性たちに向かってくれないので、時代に即応したリリカルな言葉が目立ってこない。

こういう雑誌が詩壇の中心でなかったら、伊藤比呂美多和田葉子は、外国より先に母国で正当な評価を受けていたのではないかと思う。

 

2020年のノーベル文学賞受賞のルイーズ・グリュックは女性詩人で、翻訳書がなかった。

私は文学賞受賞者の作品を全員一作は読んでいるが、翻訳が一般の書籍のかたちで手に入らないのはグリュックだけだ。

2000年代以降に女性詩人たちをうまく取り上げるメディアがあったなら、日本の出版界で受賞作未訳の失態は起きなかったのではないか。

 

翻訳されていたとしても、2019年に出た「アンバル・パスト詩集」はどうか。

女性の書き手であり、詩集の冒頭が「この詩をわたしと一度も寝なかった男たちに捧げます」で始まっている。寓話的な表現をまじえながら、男共をぶった切っている詩集だ。

たしか書評は載っていた気がするが、「現代詩手帖」という器では、アンバル・パストの言葉の切れ味が喧伝しきれなかったように思う。

 

女性詩人たちの活躍の大きさに対して、メディアでの扱いが小さすぎるのではないか。

新人が対象となる中原中也賞でも、この10年の受賞者は、10人中8人を女性が占めている。

ここ5年は全員が若い女性で、野崎有以、マーサ・ナカムラ、井戸川射子、水沢なお、小島日和とつづく。

もしこれらの詩人たちのセンスを活かした詩誌があれば、それは私にとって間違いなく「現代詩手帖」より面白い。

最果タヒ(2008年に21歳で中原中也賞受賞)を読んで他の詩人たちに興味が湧いた人にとっても、刺激的な紙面になるだろう。

現代詩のメディアが「最果タヒの次にくる詩人」を紹介できていたなら、特に水沢なおはもっと脚光を浴びることができたはずで、もったいないことをしていると思う。

 

夜空はいつでも最高密度の青色だ

する、されるユートピア

美しいからだよ

 

現代詩手帖」はベテランの書き手と読み手を逃さないようにしているためか、結果として新世代が冷遇されている。

高齢男性の受賞が多い〈萩原朔太郎賞〉や〈H氏賞〉を好む読者であれば、その編集方針で十分なのだろう。

12年連続で男性が受賞している〈現代詩人賞〉好きなら、物足りくらいかもしれない。

 

しかしそのせいで、私が一番面白いと思う現代詩人たちからはズレており、若い世代にとっての「現代」からもズレすぎていないだろうか。

現代詩手帖」しか知らなかったら、私は現代詩を嫌いになっていただろう。

 

(さらに話をつけ加えると、詩集一冊を残して30歳で亡くなった安川奈緒がいる。彼女の才能だって、一番メジャーな詩誌がこれでなかったら、もっと目立っていたのではないか?残された詩集を買おうとしたところ、古本に3万円の値がついており手が出なかった。)

 

MELOPHOBIA

 

前世紀が家父長制の時代であったし、古代の詩の起源に、ポップとはいえない聖性があることはわかる。

始原の文学(詩)は慰霊的な性質を持ち、神に捧げられる厳粛な言霊だった。

それらの歴史を重視するなら、「現代詩手帖」の堅物な編集方針も理解できる。

だが、古代においても身体的な祝祭性があったはずだ。

女性の太陽神であるアマテラスは、岩戸の外から聞こえる女性の乱痴気騒ぎに顔をのぞかせたのではなかったのか。

お神輿をかついでどんちゃん騒ぎをする日本各地の祭りも、べつにおしとやかなものではない。

相撲の起源も神事だが、両国国技館やテレビの相撲報道がそこまで高尚だろうか。

本当は芸能や神輿や相撲や春画琳派や歌舞伎や裸祭や奇祭だってあるのに、「現代詩手帖」の編集だと、静かに座って能や日本画の余白ばかり見せられている感じだ。

特定の文化に重きをおきすぎているせいで、たしかにあるはずの祝祭性がないがしろにされている。

 

現代詩にも生き生きした多様な広がりがあるはずだ。

高橋睦朗は古語の使用が目立つが、作品には淫靡な美少年好きの詩がある。

(やろうと思えば、須永朝彦武田肇をくわえて、ショタコン腐女子向けのアンソロジーを作れるだろう。)

川口晴美は直接的にBLの詩を書いており、『BL萌え詩アンソロジー』を出している。

蜂飼耳は昔話絵本を出版し、日本語表現の豊かさを発揮。

ウェブで発信している詩人たちが何人もおり、文月悠光は音声型SNSの「クラブハウス」をやっている。

現代には私が面白いと思う〈現代詩〉の力動がある。

それらは「現代詩手帖」を読んでも見つからないものだ。 

 

90年代~2000年代の短歌における俵万智穂村弘のように、口語体の書き手が注目されていたら、今とは違う現代詩の光景があったのかもしれない。

出版社や文芸誌の後押しによっては、この十数年で何人もの書き手が「売れて」いた可能性がある。

おそらく2000年代前後の日本文学史は、もっと「おもしろい」はずの現代詩の鉱脈を逃してしまった。

中原中也賞受賞者をはじめとして、21世紀の鮮烈な書き手たちの一群が、ごっそりと抜け落ちてしまっている印象がある。

 

 

私はこれまで、現代詩がいまいち注目をあびず、売れていないのは、一般の人にとって「わからない」からだと思っていた。

しかし現代詩や「現代詩手帖」が読まれていないのは、「わからない」せいではなく「つらまない」印象のせいではないか。

「わからない」から「つまらない」のではなく、「つまらない」印象のせいで余計に「わからない」ものになっている。

 

能天気な考えだが、「おもしろい」印象があれば、「わからない」ことなど問題にならないと思う。

世間的に、複雑な言語表現が避けられているわけではない。

「M-1」の漫才やヒプノシスマイクのラップは高度な言語遊戯だが、それらは多くの人にとって「わからない」とされず、「おもしろい」ものとなっている。

BTSなどのK-POPは歌詞が「わからない」ものであっても曲を聞くし、ネットフリックスの外国のドラマは、言葉遊びや俗語表現が「わからない」ところで気にならない。

最果タヒの文藝も、「おもしろい」印象によって「わからない」が突破されているため、多くの人に読まれているといえないだろうか。

 

私の知っている現代詩は、この雑誌よりもはるかに「おもしろい」。

現代詩手帖」は率先して詩を「つまらない」印象にしてきたが、現代詩はもっと幅広く、気軽に、多様性をもって、生き生きと読まれるものになれるはずだ。

 

 

【現代音楽】呼吸合唱曲(文章による楽譜)

   上演の必要条件

・多様な音域の歌い手数十名をそろえなさい。

・演者は舞台上で音声を発してはならない。

・小規模なコンサートホールの狭い舞台に、大勢の者たちを密集して並ばせなさい。
出演者の口を覆う物も、お互いのあいだに置かれる仕切りも、客席との間隔もあってはならない。

・上演にあたっては、オンライン接続をはじめとしたあらゆるデジタル機器の使用を禁ずる。 

 

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  呼吸合唱曲 (命令形を主とした文章による楽譜)

客席に観衆がそろい、幕が開いたあと、大勢の者たちは無造作に、黙りこんだまま舞台に登りなさい
歩きなさい 段差を登りなさい そして並びなさい 
なすすべなくわずかに緊張しているときの呼吸をしていなさい

 

 第一楽章 口と肺があることの落ち度に打ちひしがれなさい

はじめ、それぞれの者はただ無造作に呼吸している
ほほえみのように、あいさつのように、日常であるかのように
しかし隠しとおせない違和にお互いの気まずい呼吸を強めていきながら。

やがてやや目立つかたちで、ソプラノ1名が嘆息する
静かに、小さく、気づかれないほどに
その後しばらくして、もう一度大きく、肩を動かして嘆息する
今度は幾人かが気づき、いくつかの目線が動くほどに。

(長い間)

バリトン1名がわずかな咳払いをする。 

(長い間)

人々はほほえみのように呼吸している
安息であるかのように
平凡な日々が過ぎていっているかのように呼吸はつづく

不要不急に息を吸うことなどなく、不要不急に息を吐くことなどないように
人々は息をとりつくろっている

やがてバリトン1名が、静かに、声もなく舞台を降りる
(咳払いをしたバリトンとは別の者でありなさい)
その者は再び戻ってくることはない 

 

 第二楽章 悲嘆の成層に息をのみ、怒声のような嘆息を長く、極端に長く吐きなさい

大人たちも 子供たちも 狭い場所で密集しながら 顔をそむけるようにしなさい
客席に対して背中をむける者もいる
あらゆる方向に対して顔をそむけている者もいる
合唱者の一部の人よ、舌打ちしなさい

半分の人よ、音もなく唇を動かしなさい
唇が付き 離れる
ウのかたち イのかたち エのかたちに 早く 遅く 縦に 横に 動かしなさい

ソプラノ・テノール・バスは口内に空気をふくんで頬をふくらませるが その空気は吐き出さずに飲み込みなさい
腹から 口内に至り また腹に戻り 口内に至らしめなさい
臓物と咽喉を運動させ 過剰に二酸化炭素を生んでいなさい
音以外のものでできたミニマルミュージックを 酸素の律動を反復させなさい
男たちから 女たちへ 
女たちから 男たちへ 最後には幾人かの子どもたちに律動を伝わらせなさい
やがておだやかにおさめていきなさい 

(間)

メゾソプラノ アルト テノールは気管支炎のように病的で複雑な呼吸をしなさい
息を張って 息をのんで 息づく間もない 息遣いをして
息をはずませ 息を長くして 息切れして

舞台の中心から離れたところにいたボーイソプラノ1名は過呼吸を起こしなさい 
そして過呼吸を50秒ほどつづけたところですみやかに舞台を降りなさい

すべての者は、襲いかかられたあとのように黙しなさい
ただし追悼よりも騒がしく 怒りをつのらせて息していなさい

(ふたたび長い間)

 

 第三楽章 息の根を止めなさい

すべての者たちはただ黙り込みなさい

黙(もだ)が 沈黙が占めるように
あわよくば神の沈黙を聞きなさい

息を止めなさい。
それを気にしていないかのように平然と。
しかしうっすらと命に支障がある程度の困難さで息を止めていなさい。

ソプラノ1名は息をしない状態で 以下の言葉を唇も舌も動かさずに 内臓と子宮のみで歌いなさい
  息ができない
  もうこれでは虫の息だ
  水中のような
  息づまる圧力だ
  息張って
  息切れして
  息が絶えだえになってしまうほどだ

不規則に顔を覆いなさい
手で口を覆いなさい
お互いから顔をそむけなさい
自らの顔から顔をそむけなさい

ソプラノよ、テノールよ、ボーイソプラノたちの首をしめなさい
ボーイソプラノたちよ これが何事も起きていないたんに新しく凡庸な日常にすぎないかのようにしていなさい

すべての者は息を止めなさい
可能な範囲で長く
可能な者は心拍も止めなさい

(間)

 

(間)

 

(間)

舞台を降りていたボーイソプラノ1名が無造作に 再び舞台上に戻ってくる

歯の隙間から鋭く息を吐くシューッという音をあげ、あちらこちらからだんだんと強めていきなさい

 

 第四楽章 深呼吸

さあ、息を吹き返しなさい。
復讐のように呼吸しなさい。

ソプラノたち 口笛を吹くときのかたちのすぼめた唇から、音ではないするどい呼吸の振動を上げなさい。
そしてここから、私たちの本当の呼吸が始まる。

吐く息が最後までついえたとき
人々は新しく呼吸しなさい。
すべての人々は呼吸しなさい。

一部ではベートーベンの第九を引用し 「苦悩を突き抜けて歓喜へ至れ」の旋律を、多くの者の唇によって フーフー・ハーハー・フーフー・ハーハー と呼吸のみで合唱しなさい。
全員で。なおかつバラバラに息しなさい。
吐くときには一致させて、吸うときにはバラバラにさせて。
従わない者がいてもかまわない。

メゾソプラノ 全員で息を合わせて  口笛を吹くかのように呼吸しなさい。
ボーイソプラノ 全員で息を合わせて 口笛を吹かないかのように呼吸しなさい。
なおかつ全員が一切息を合わせなくてもよい。

あらゆる者から、あらゆる呼吸で、あらゆる唇で、あらゆる歓喜で。
調律も楽譜も遠慮も配慮も指示も捨てなさい。
息を合わせて。顔を合わせて。唇を合わせて。両腕を合わせて。
家族同士で。恋人同士で。友人同士で。他人同士で。異者同士で。死者同士で。

歯の隙間から、舌を波立たせて。「ア」のかたちで 「オ」のかたちで。
口をすぼめて呼吸しなさい。口をひろげて呼吸しなさい。腹式呼吸で。音のない裏声で。熱を冷ますように。熱を与えるように。唾を飛ばしなさい。キスをしなさい。唾液をすすりなさい。鼻水を流れるままにしなさい。唇を突き出しなさい。大きな肺で。大きなのどで。大きな臓器で。大きな口で。大きな目で。大きな鼻で。大きな顔で。大きな生身で。

バス ぞんぶんに咳をしなさい。
ソプラノ 前に出て痰を吐きなさい。
アルト いくらでも人の顔の前で吸いなさい。
テノール 好きな方向に歩いて入り乱れなさい。

呼吸をぞんぶんにおこないなさい。
息をひそめる必要などない。音なき笑いを発しなさい。 声なき歌を発しなさい。
全力で息を、いき、活き、行き、イキ、生き、息をしなさい。
生命をかけて。自由をかけて。
死者に関しては声に出して歌ってもよい。

そして私たちは生きる。
呼吸をしなさい。深呼吸をしなさい。
吐きなさい。吸いなさい。
鼻穴で。口穴で。毛穴で。耳穴で。尻穴で。尿道で。眼球で。もう一度鼻穴と口穴で。あらゆる穴で。
目を開けなさい。鼻の穴を最大限まで広げなさい。
生きなさい。
ボーイソプラノたち、ソプラノたち、メゾソプラノたち、アルトたち、テノールたち、バリトンたち、バスたち、ここにいる者たち、残された者たち、残らなかった者たち。
腹式呼吸で。腹の底から。足先から頭頂部まで。
呼吸する管になりなさい。
呼吸に値する者でありなさい。

そして全員で深呼吸!

息を合わせなくてもよい。ただ前向きに、顔をそむけずに呼吸をしてくれればいい。
そして誰よりも子どもたち あなたたちは何よりも大きく口を開けて大きく呼吸しなさい。
腹の底から空気を吸い込み、最後列よりも遠くに息を吐きなさい。
強く、力強く。音よりも壮大に。
コントラバスよりも深く サクソフォンよりも激しく シンバルよりも衝撃的に 傲慢な指揮者よりも独断に。
泣きなさい。唾を飛ばしなさい。笑いなさい。唇で歌いなさい。
肉体を含めたあらゆるものをもろともせずに呼吸しなさい。
呼吸する器官になりなさい。 すべてのあなたたちは器官ある身体でありなさい。
何者にも邪魔されることなく。何者も気にかけることなく。
呼吸することをさまたげられないように。
息することをさまたげられることが決してないように。
あたりまえの呼吸で、ありのままの呼吸で。
果てしないほど長く息を吸い 果てしないほど長く息を吐きなさい。
深呼吸!

やがて人々は何の変哲もない凡庸な呼吸をはじめる。

 

  終幕

ブラヴォー!観衆は拍手ではなく歓声を発しなさい。
高らかに口笛と唾を飛ばしなさい。
おお!とどよめき、ああ!と嘆き、ええ!と言い合い、うう!とうめきなさい。
口々に語り合いなさい。キスをしなさい。歯を向いて罵りあいなさい。
抱き合いなさい、相手が他人だとしても。頬を寄せなさい、相手が死者だとしても。
この日を。この経験を。忘れないように。あらゆる人が脈動するこの瞬間の唇と肺と人体から生まれるすべての呼吸をいつまでも忘れないように。

 

 

 

 

KIKUI Yashin 2021 /Photo by Pixabay