愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井伸哉(きくい しんや)による愚文集

【諷刺家ファイル】日本の戦中・戦後の画家たち 河原温・中村宏・石井茂雄・浜田知明

 

 このブログは詩や1コマ漫画などさまざまな形式の記事を出しているが、元々は趣味の諷刺研究のアウトプットに使うという目的があった。諷刺家については、以前ツイッターで「諷刺作家備忘録101」をやり、101人分のリストがある。今回はそれらのまとめの一つとして、「日本の戦中・戦後の画家たち」4人を取り上げる。リストの70~73番にあたるもので、個人勝手な酔狂である。

 

 

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諷刺家ファイル No.70 河原温

 河原温(かわら おん 1932‐2014)はコンセプチュアルアートの巨匠として、国際的な評価が極めて高い。しかし傑出しているのは50年代のドローイングで見せた戯画的かつ悲壮な人物造形で、恐ろしいほどの痛切な極地へと至っている。特に「浴室」の連作は、人間関係の血みどろの赤裸をあばいたもので、一人の人間にこれほどまでの悲しみがありえるのか、と驚嘆する。

 私は国立近代美術館で「浴室」連作を直接鑑賞する機会があり、深く重いタッチを味わうことができた。

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 本物の画集(「ON KAWARA 1952-1956 TOKYO」)はプレミアがついて数万円の値段になっている。上記は図書館でカラーコピーをとらせてもらったものの一部。

 


諷刺家ファイル No.71 中村宏

 1932年生まれの画家。銃とヘルメットが構図の大部を占める「基地」(1957)は、黄色がかった土色が視覚に染みる。社会的な主題が現代絵画を抽象に遊離させず、喫緊の問題として眼前に置く。シュルレアリスムの影響のある、悪夢的なまがまがしい構成とタッチが印象的だ。
 なお、80代半ばを越えても個展を開いている現役の芸術家である。

ANPO [DVD] 

 アーティストたちの貴重な証言が聞ける映画「ANPO」のジャケットに中村氏の作品が使われている。当然本人も語っており、他にも版画家の風間サチコ等が出演。力のあるドキュメンタリーだ。

 

 

諷刺家ファイル No.72 石井茂雄

 石井茂雄(いしい しげお 1933-1962)は日本の画家。抑制されたモダニズムを見せるエッチングや、人間がモノにさせられる痛切な油彩画がある。冷たい建築群の中で個人が圧制を受ける、魂の蹂躙の現場を絵画によって記録した。集団主義と科学発展によって建造された、20世紀の地獄が描かれている。

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(※ 画像は「ANPO」公式HPから失敬した。)

 


諷刺家ファイル No.73 浜田知明

 浜田知明 (はまだ ちめい 1917‐2018)は日本の版画家。中国大陸での兵役が生んだ「初年兵哀歌」の連作は、「虫けらのような人間」ではなく「人間のような虫けら」を描いている点で、カリカチュアではなく異形の写実である。実体験を反映させた後年の作品には、自身の病状をユーモアに昇華している。

 2018年の3~4月に、町田市立国際版画美術館で回顧展があり、私は初めて生で作品を鑑賞した。しかし同年の7月に作家は101歳で死去。浜田氏が私の記憶の最後に残したのは、現役作家としての孤高の作品だった。

 

人と時代を見つめて―浜田知明聞書

 

 

 タグ 諷刺家ファイル

 

【現代詩】 誤答(終戦は終わった)

   誤答

何人までが殺人で
何人からが英雄か。
どの線までが愛国で
どの線からは敵国か。

ひらがなでかかれていたつちのうえ
カタカナにさせるアノデキゴト。
文字にならない声を集めて
歴史のマス目は埋められた。

テストのために子供たちは
正確な偽書を暗記していく。
(うるわ)しく縫われたくちびるで
新品の沈黙を語り継ぐ。

全滅ではなく玉砕をして 
退却ではない転進をして 
占領ではなく進駐をして 
敗戦ではない終戦は終わった。

過去がいかなる素数であっても
まっすぐな隊列は割り切っていく。
大きな答案用紙のために
子供たちは偶数に召される。 

ここからあの経度までは自衛。
ここからあの数字までは英霊。
若さが完遂させられる明日を
親ゆずりの教師が指導する。

私の立っている位置は
私の足裏にあるものの上。
あなたから私までの距離は
私からあなたまでの距離。

どうかこの無学な体温が
添削されませんように。
いつか巨大な正しさを前にしても 
私たちは慎重に
なおかつあらんかぎりの力をもって
小さな誤答ができますように。

 

 

 

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【詩】椅子 あいちトリエンナーレ 「表現の不自由展・その後」中止に寄せて

   椅子  

いまも世界で 
誰かが椅子に座っている。

一生をともにするかもしれない
出会いの椅子にも
遺恨を残す
追憶の椅子にも。

南向きのテラスにそなえたベンチ。
子どもたちがステージを観る劇場S席。
病院の廊下に並ぶ細長いオレンジ。
夜行を待つ人々への慰撫。
大陸の農夫にとっての倒木もまた。   

悲しみさえも擦り切れたような
いくつかの椅子が世界にはある。
   少なくとも今日 
   確実に一つは。

教育されねばならなかった室内。
七十年目の国境線。
なおも再会することのない家。

ある人の
座ってきた椅子の数はいくつだろう。
ある人の
座りたかった椅子の数はいくつだろう。

いまも世界で 
座りえなかった椅子を思う人がいる。
   少なくとも今日 
   少なくとも私は。

長い歳月を経て
椅子は座る者の腰骨を曲げた。
このおなじ椅子でもう十年。
このおなじ椅子でもう三十年。
恥辱を支えて立ち上がるためには
二本の足ではたりなかったのか。

冷朝の木床に足をおろして
少年が朝の新聞配達に走り出す
そのような清冽な始まりはもうないか。

小さな足裏に国をかけて
歴史の地面から引き剥がす。
他の誰でもない者の椅子に
重さを荷わせられなかったのか。

  少なくともこの時代に
  わずか一人分の重さを。

 

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