愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井(きくい)ヤシンが好きなことを好きなようにやるためのブログ

【散文】特に救いはないショートショート集

今回は、現代詩ではなく散文(ショートショート)です。詩を書いたときに出てきた削りカスであり、粗雑なものですが、まとめると掌編風になります。お時間ある方はどうぞ。

 

※※※※※※※※※※※※※

 

   西の大泥棒と東の大泥棒

あるところに、西の大泥棒と、東の大泥棒がいました。
二人の大泥棒は、どんなものでも盗みだします。
西の大泥棒が、東の町から宝石を盗んだ日には、東の大泥棒も、西の町から宝石を盗んでいました。
西の大泥棒が家一軒をまるごと盗んでいった日には、東の大泥棒も、家一軒をまるごと盗んでいました。
双方は同じ日に、同じものを盗んでしまうのです。
そのため、西の町も東の町も、毎日盗み、盗まれながら、町のようすは変わりません。
そうやって何世紀ものあいだ、宝物も、文化財も、伝統も、国も、盗まれつづけながら、人々は犯罪のなかで平和にくらしていました。

現在進行形なので、この話の結末はまだありません。

 

 

   痛み

「痛みのクズ入れ」があってね、ポイポイと捨てて使っていたんだ。
クズ入れが溜まってもべつに問題なくて、回収してもらっていた。
どこにいっていたかは知らないけど、なんとなく外国だと思ってたよ、バングラデシュとか中国の辺境とか、どこか遠くの方に。

ある時失業してさ、いっぺんにお金がなくなった。
すぐ復職できるだろうと思ってたけど、そうもいかなかったな。
食うためには職に就くほかないだろ。
いやあそれにしても、世の中にこういう労働があるとは知らなかった。
ぼくは今とても痛い。

 

 

   作り手

あいつは小さなころからうまい彫刻家でね、人物でも動物でも、あっというまに造り出すことができた。
抽象のオブジェでも、たとえば「勇気」をテーマにしたら、間違いなく、これぞ「勇気」だと思えるものができあがったんだ。
彫刻家はいつしか、あらゆるもの、未知のものでも、何でも造り出せるようになった。
ある時一世一代の大作に乗りだして、その彫刻家は「ゼツボウ」というやつを作るのだといって、姿を消した。
あらんかぎりの時間をかけて、彫刻家は力をつくした。
それが成功したかって?
わかってるだろ、鏡を見なよ。

 

 

   本

むかしむかしあるところに、人類がいました。
世界とは誰も手にとったことのない本であり、すべてを読んだ人はいません。
書いた人が誰かもわからないし、どんな文字なのかもわからない。
にもかかわらず、誰もが物語を知っていたので、生きていけました。

ある日、全世界がふいに終わりました。
本が閉じられたのでした。

 

 

   仮面師

仮面をつけかえると、それが本当の顔になる人がいた。
体つきも変わるし、動物のお面で、本当の動物になった。
犬にもなったし、魚にもなった。
病人にもなれたし、大統領にもなれた。

自分の顔がわからなくなったので、新しく作ることにした。
世界中を見てまわって、いくつもの自分の顔をつくりだした。
それらは仮面師を世界一にする仮面だった。
ある時死者の仮面をつけたら、はずれなくなったので、この物語もおしまい。

 

 

   近道

「いいぞ、急いで!」「こっちが近道だぞ!」といった声援を受けながら、彼は走った。長い道は希望と可能性に満ちており、彼の行く末はかがやかしいものだった。
「こっちが正しい道だ!」「ここからはしばらく一本道だ、正念場だぞ!」と、多くの信頼できる人たちからの声があった。いくつものアドバイスのおかげで、彼はどれほど複雑な道でも迷わなかった。
彼は力強い脚で走りつづけた。時計を気にしながら、汗をかいて、憔悴して。時に倒れている人を踏み越えつつ、足を止めることなく、彼は努力をつづけた。

「あとすこしだ!もうひとふんばり!」「この坂道を越えたらゴールは近いぞ!」
長い旅路を経て、彼は長方形の穴にたどりついた。彼は時間をムダにしないようにすぐさま穴の中に倒れこみ、効率的に眠り込むと、手際のよい同僚たちによってテキパキと埋められ、その上に大量生産型の墓石が置かれた。すみやかな弔いがすむと、残った人たちはやってきたばかりの若い者に向きなおり、「さあ急ぐんだ、向こうが近道だぞ!」と叫んだ。

 

 

   画家の一生

若い画家の絵は細密を極めていった。
完成するまで絵は出さないと決めていた。
一作に万物をつぎこんでいた。
完成した時には年老いていた。
この世で最上の絵画だと思えた。
傑作を観ながら画家は老衰死した。

残された者は、狂人の部屋に残された画布を見つけた。
真っ黒だったので、捨てた。

 

 

   名刺

初めて会ったときには名刺を渡してあいさつをし、二時間ほどがたつと、「それではまた」と言ってにこやかに別れの握手をしました。それが実母との唯一の思い出です。

 


   国立獣姦センター

それはそれとして、あいつはいっそ殺してくれって感じの目をしていたね。

 


   掟の門

「この門は、おまえひとりのためのものだったのにな」と男は言った。
だが門番は目だけではなく耳も使いものにならなくなっていたので、聞きとることができなかった。

 

 

   喪主

私は12歳で母の喪主を務めました。

 


   人間

おそろしい怪物であるスフィンクスは、旅人に問いかけた。
「朝は四本足 昼は二本足 夜は三本足 この存在とは何か」
勇敢な旅人は、ひるむことなく堂々と答えた
「人間。それは人間だ!」
スフィンクスはにわかな落胆を見せて、短く「違う」と言った。
旅人はうろたえた。
「それでは何だ!他にどんな答えがあるというのか!」
いくら叫んでも、スフィンクスは巨大な沈黙をするばかりだった。

旅人は真の答えを知ることもなく、先に進むことも、退くこともできなかった。
歳月が経ち、旅人は衰えた。
「もはやわたしの命は残り少ない。最後に教えてくれ。ほんとうの答えは何だったのか。人間ではなかったのか?」
スフィンクスの岩の沈黙は動かず、言葉はなかった。
旅人は息絶えた。

 

 

【まとめ】2019年11月 ヨシタケシンスケさんインタビュー/不登校の人に言うべき言葉 /ひきこもりの「原因」論 他

2019年11月に公開された、自作の執筆・編集記事のまとめです。

 

あなたのひきこもりはどんな意味?『ひきポス第7号  ひきこもりと偏見』

www.hikipos.info

冊子版『ひきポス』の最新号が発売されました。私は「ひきこもり」の定義について、比較的軽めの記事を載せています。今号は「犯罪者予備軍」とも報道された「ひきこもり」への偏見をテーマにしたもので、マイノリティの声をあげたものとなっています。

 

 

不登校の人に言うべき言葉を見つけた 『ひきポス』

www.hikipos.info

 学校に行けない・行かない人に対して、 「学校から逃げてもいい」「死なないで」といったメッセージが発信されることがあります。しかしそれよりも先に言わねばならないことがあるのではないか、という思いから書いた記事です。

 

 

 原因論 『ひきポス』

www.hikipos.info

   本稿の意図

 この記事では、「原因」が「原因」として役に立たないことについて書きました。問題は問題として批判すべきですが、時には問題が問題として機能しない場合があります。

 どのようなケースかというと、たとえば「不登校」の原因として、子ども個人が「教室の雰囲気の問題」を挙げたとする。しかし30人のクラスで自分一人だけが不登校であった場合、他の29人にとっては「問題」ではないことになります。そのため全体を見る立場からすれば、「教室の雰囲気」よりも「不登校の子ども個人」の方が問題に見えてしまう。そうなると、不登校の子ども(私自身だったわけだけれども)の主張に説得力がありません。

 ですがこの記事では、「〈通常〉の事故(ノーマル・アクシデント)」という概念があり、〈通常〉の物事の積み重ねによって望ましくない結果が起こりうる、と指摘しました。これによって、〈通常〉の業務を行う教育者や親や教育システムの側に「原因」のボールを投げています。誰かが犯人であるとか、特定のルールに異常があったという話ではなく、〈通常〉のことをしているだけでも、「原因」になりうることを訴えました。〈通常〉の教育、〈通常〉の教師、〈通常〉の親が「原因」でありうることを述べ、子ども個人が問題化されることをしりぞけようとする試みでした。

 

 

絵本作家ヨシタケシンスケさんインタビュー 『不登校新聞』(編集記事)

futoko.publishers.fm

  ヨシタケシンスケさんは絵本作家として有名ですが、大人向けのスケッチ集も多く出されており、中にはチクリとするフレーズやアイデアがたくさん登場しています。このインタビューでは、言葉の持ついいかげんさや、「不登校の原因」をめぐる知的なご指摘を聞かせていただきました。

 

 

 私にとっての戸塚ヨットスクール不登校新聞』

futoko.publishers.fm

 『ひきポス』で公開した3本の記事、「戸塚ヨットスクールって何?」、「戸塚ヨットスクールまで行って海に花束を投げた話」、「不登校の人に言うべき言葉を見つけた」 を集約したような内容です。私個人としては、今年の活動や気分を総まとめしたような記事となりました。

 

 

 

   他

note  喜久井 ヤシン|note

Twitter  喜久井ヤシン (@ShinyaKikui) | Twitter 

 

縁ありましたらご覧ください。

 

 

【本】読んでいて「へー」っとなった箇所ランキング2019 国際インポテンツジャーナル、米良地方の子守唄、配線用差込接続器について他

今回は、この一年くらいの読書中に「へー」っとなった箇所をランキング形式にして並べていく。ベスト10のうち上位にいくほど個人的な要因で選んでいるため、基本的に伝わりづらくなっている。あくまで私の読んだのが今年というだけで、出版年は無関係。適当に読み流してくれたら良い。

 

 

10位 プレスチモグラフの具体的な解説

なぜペニスはそんな形なのか ヒトについての不謹慎で真面目な科学

(プレチスモグラフは、)『ゴムのなかに水銀柱の入った円柱歪みゲージで、性的刺激に対する勃起反応を測定するために用いられる。これを装着した状態では、ペニスの外周の変化は水銀柱の電気抵抗に変化を引き起こす。』ジェシー・ベリング「なぜペニスはそんな形なのか」)

 「プレスチモグラフ」とはペニスの勃起(血液量変化)測定器のことで、性的興奮の客観的指数を得られる。人前で読みづらいタイトルをもつ本書は、具体的な使用法や研究結果をあますところなく説明している。著者のジェシー・ベリングは性に関する知識をもっとも面白く紹介できる人で、中でもこの本は最高傑作と思われる。参考文献からして『国際インポテンツ研究ジャーナル』、『性役割』、『性研究ジャーナル』など並みではない。同居する女性同士の月経周期が同期する現象のことを、「マックリントック効果」ということも本書で知った。


9位 眠らない子供への殺意を隠さない米良地方の子守唄

不道徳お母さん講座: 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか

ねんねんころりよ おころりよ
 ねんねしないと 川流す
 ねんねんころりよ おころりよ
 ねんねしないと 墓立てる』堀越英美『不道徳お母さん講座』)

 宮崎県米良地方の子守唄で、意味内容としては、母親が赤ん坊に向かって「寝ないと殺すぞ」と歌っている。「優しいお母さん」なんて歴史はここにない。『不道徳お母さん講座』は日本の「良いお母さん」像が20世紀にできた概念であることを喝破した評論で、読むといろいろな鬱憤が発散できる。「お母さん」をあがめたい人々からすれば、焚書にしたいような内容が詰まっている労作。


8位 60年代のアメリカにもヒキコモリがいた証拠映像

クラム [DVD]

『高校を卒業してから家にいる』(映画「クラム」)

 本ではなく映画だが、字幕を「読んでいる」ので本作も含む。諷刺画家のロバート・クラムを取材した95年制作のドキュメンタリーで、上記はクラムの兄の発言。「1か月だけ働いた」「20年前の本を読み返している」などと述べており、これは現代でいう「ひきこもり」だ。1960~90年代のアメリカに「ひきこもり」がいた証拠映像であり、クラムの言動以上に興味深く鑑賞してしまった。


7位 シンプルな線で描かれた「人生」の詩情の深さ

今日の人生

『「流水で冷やしたんですか?」「はい」「水から離すと痛かったでしょう?空気に触れると痛むから」 それを聞いて、生まれてはじめて 「空気」に質量があるように感じられた。 患部に空気が触れぬよう、油を塗ってきたら よかったのだと教えられた。』益田ミリ「今日の人生」)

 エッセイマンガから。この文意以上に、益田ミリのシンプルな漫画に濃い詩情がこもっているというのが驚きだった。石垣りん茨木のり子といった詩人たちの系譜に連なるような、生活力のある女性像が描かれている。
 以下などはそのまま詩だ。

『生きている時間のほうが長い
 どんなに短い人生だったとしても
 生きていた時間のほうが長い』


6位 アンドロイドは〈居る〉ことができない

VRは脳をどう変えるか? 仮想現実の心理学

すべてのデータの相関関係を調べた結果、人々が交流する際の身体の動きは驚くほど正確に一致していることが判明した。彼らの動きは、練習を重ねて技巧を尽くしたバレエと同じ程度に巧みな振り付けがなされていたのだ。しかも誰一人意識しないまま――。
 一人がわずかに姿勢を変えると、それに合わせて別の一人がかすかに頭部を動かす。肘を曲げる動作が、話し手の変わるタイミングを示す。こうした「振り付け(発話と身体動作の同期)」は、例えば発話とぴたりと同期した身体動作など、個人ごとにも起きていたが、より重要なのは人々の間に起きた同期である。一人が発した言葉とジェスチャーは、グループ内に波紋を広げ、他の人々のジェスチャーを引き出すのだ。すべては何分の一秒というレベルで起き、しかもほとんどが無意識下で起きている。』(ジェレミー・ベイレンソン『VRは脳をどう変えるか?』)

 アンドロイドを人間らしく見せるのは難しい。上記は人々の微細な言動を調べる実験で、スポーツの現場で使うようなハイスピードカメラを使って研究された。それによれば、アンドロイドには及びもつかない微細な動作が人々に満ちており、ただ「居る」ことのなかに複雑かつ深淵な関係がくり広げられているという。テクノロジーの発達によって、人間とは何かが明瞭になっていく。「居る」ことをめぐるスリリングなページだった。

 この『VRは脳をどう変えるか?』は仮想現実の未来について書かれており、たとえばアバターについて、『今の小学生が大人になると、実際のウールのセーターよりも仮想世界のセーターに費やす金額のほうが大きくなるかもしれない』とある。充分にありえることだろうと思う。

 


5位 ケアの現場も会計士の目線に支配されていることへのペーソス

居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)

『何が言いたいかというと、超シンプルなことだ。
セラピーにはお金がつきやすく、ケアにはお金がつきにくい。これだ。
会計の声が持ち込む市場のロジックは、セラピーに好意的で、ケアの分は圧倒的に悪い。』(東畑開人『居るのはつらいよ』)

 名著が多い「ケアをひらく」シリーズで、今年出版された1冊から。セラピーの仕事よりもケアの仕事を劣ったものと見なしてしまうニヒリズムが、世の中にも自分の内にもあると、自戒を込めて指摘している。『僕たち自身がいつもいつも会計の声を発している。僕らは日々、労働者や経営者としては生産性と効率性を追求し、消費者としてはコストパフォーマンスを計算している。』ともいう。タフなユーモアによって書かれた本だった。


4位 ナンパ術から見る「人とわかりあう」極意、もしくは「わかりあえない」なりの極意

口下手で人見知りですが、誰とでもうちとける方法、ありますか?

『人と話すとき、その人が「何を言っているか」よりも、「どう話しているか」に対して冷静に注意を向けると、得られる情報の質がまったく変わってきます。』(高石宏輔「口下手で人見知りですが、誰とでもうちとける方法、ありますか?」)

 著者の高石宏輔がすごい人で、高度な現代思想や身体論を用いてナンパ師の世界を描いている。『あなたは、なぜ、つながれないのか』(2015)や『声をかける』(2017)などは、かつてどのような文学作品でも描かれたことのない境地が描写されており、別格の書き手だ。何かの賞でもとれば一気に有名になる人だと思うが、フィクションでないので小説の賞にはあてはまらない。ドゥマゴ文学賞とか「わたくし、つまりNobody賞」あたりなら入りうるだろうか。注目している。


3位 犬への愛情によって教えられる人間への愛情

マルコム・グラッドウェル THE NEW YORKER 傑作選1 ケチャップの謎 世界を変えた“ちょっとした発想” (マルコム・グラッドウェルTHE NEW YORKER傑作選)

『あなたは運動や愛情を与えています。でも、訓練や規律による愛情は与えていない。誰かを愛するとき、私たちはそのようなしつけをきちんと行います。それが愛するということです。だから、あなたはご自分の犬を愛してはいないことになる。』〔…〕『人は「愛している」と言うが、その手つきは決して「愛している」とは伝えていない。』(「マルコム・グラッドウェル傑作選 ケチャップの謎」)

 著者のグラッドウェルは、雑誌「ニューヨーカー」を代表するジャーナリスト。上記は取材先の犬の調教師が、犬に対する「愛」を定義し、飼い主に訴えている発言。飼い犬が息子を噛んでも犬を叱らないのに、息子が犬を蹴ったらそれは叱る。それは犬を真に愛しているのではないと教授しており、ささやかなで身近な例ではあるけれど、個人的に「愛」の定義を刷新させられた。アダルトチルドレンにとっての親の「過干渉」が、「愛」にあてはまらないことの説明になっている。


2位 一本の葦が「何もしてない」ことへの賛歌であることについて

植物はなぜ動かないのか: 弱くて強い植物のはなし (ちくまプリマー新書)

植物はなぜ動かないのか(稲垣栄洋「植物はなぜ動かないのか」) 

 新書のタイトル。内容は植物の「固着性」による生存方法について述べているが、細々したところがなくともこの一文だけで充分発見だった。今年も事件が起きてしまったが、「ひきこもり」や障碍者は、「生産性」のない無益な者として一部から忌避されている。私自身も、「動かない」ことや「何もしない」ことは、人のあり方として根本的には肯定しがたいと思ってきた。しかし、植物や貝類などは「動かない」ことを生存の様式にしている。なんだ、悩む余地もなく生きているし生きていていいに決まっているではないか、という、これはそこらじゅうにある雑草から受ける命へのうべないの発見だった。


1位 配線用差込接続器の詳細

お釈迦さま以外はみんなバカ (インターナショナル新書)

『通常左側が大きい。小さい方は電気が来る側であり、「ホット」と呼ばれていて、大きい穴の方が電気が帰る側であり、「コールド」と呼ばれている。』高橋源一郎「お釈迦さま以外はみんなバカ」)

 なんの話かお分かりになるだろうか。これはコンセントの説明で、正式名称は「配線用差込接続器」という。本書はNHKラジオでの高橋源一郎のブックガイドをまとめたもので、上記の解説は紹介されている中の一冊から。コンセントを見ると、たしかに左側が大きく、右側が小さい。ある作家は、民衆の理解力の低さを非難して『目を開けているにすぎない』と言ったが、私もまた『目を開けているにすぎない』ことがいかに多いか気づかされた。

 これがランキングの1位かよ、と言われても仕方ないが、私には「どこから驚きを与えられるか分からない」という衝撃だった。それにしても、コンセントだぞ?Wi-FiとかIOTが理解できないというのではない。普段目にしている物理的な「配線用差込接続器」の右側の方が小さめ、なんて私の辞書になかった。本のこの箇所がなければ一生涯気づくこともなかっただろう。「ホット」と「コールド」のように、知らないままでいるもの身のまわりだけでもいくらあるのか。その途方もなさは、幼い頃に感じた未知の世界への好奇心を再起させるような、非常に読書らしい読書の交感だった。

 ただそれはそれとして、この知識自体は別に役に立たないし、今回の記事を読んだ人にとって、別に有意義な時間にできたとも思わない。それでも何が知的好奇心になるかわらかないものでもあるので、本稿をここに置いておく。

 読むことにも書くことにも私自身の遊びがある。公園の砂場に遊び散らかされたあとの砂山と幼児の指あとが残るように、これらは今年の遊びの名残りにあたるものだ。