愛さないことにかけては世界の方が上手

詩人・ライターの喜久井(きくい)ヤシンが好きなことを好きなようにやるためのブログ

【散文】おごそかな津波

※2020年6月18日『ひきポス』(https://www.hikipos.info/)掲載作

 

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   おごそかな津波

 

「うん。大丈夫」

と私は嘘をついた。

しかし、去ってほしくない人が消えた、という昨日の事実にうろたえていた。

なんていさぎよい最後だったろう。

祖母は95歳で、「もう私にも津波が来るから」と言い、身辺を整えたうえで、静かに去っていった。

昨夜の見送りの席では、普段から騒々しい母がさらに騒ぎ、

「スミレちゃん悲しいでしょう?おばあちゃんのこと好きだったからねえ!」と私に叫んだ。

母は三十を過ぎた私に、いまでも「ちゃん」をつけて呼ぶ。

演技だったとは言わないけれど、長年別宅で暮らしていた義母との別れが、母にとってそこまで悲痛だったかどうかは疑問だ。

 

町はだんだんと人が減り、静かになっていく途上だった。

何かが壊れたわけでもなく、目に見える事件があったわけでもない。

しかしこの町はたしかに、ゆっくりとおびやかされていた。

 

――津波

いつからだったのか。「津波」と呼ばれるそれが、私たちの危機になったのは。

母が「こんな田舎にまで来るわけないじゃない」と言い捨てていたのは、せいぜい今年の春のことではなかったか。

高齢者の多い町だったが、大きな被害は出ていない。

祖母が去っていったのも、本当に津波と関係あったのかどうかはわからないのだ。

ただ、人々は以前より息をひそめて、各々の自宅にこもるようになっていた。

津波ですからねえ」とおだやかに言い、引っ越していった人もいる。

商店街はシャッターを閉める店が増え、戻らないところも多いだろう。

町は大手チェーンのスーパーだけが、場違いに派手な電光を灯して建っている。

人は通り魔事件でも起きたかのように外出を避け、通りは震災後のように静かだった。

家々は暴風雨の接近のように、戸締りをしている。

傷ついている人は見えないのに、被災地のようになっていた。

 

今は日本中のあちこちで、こんな衰退の光景が広がっているのだろう。

元から自宅でばかり過ごしていた私は、日々流れてくるニュースを、無力に傍観していた。

 

   昼

 

祖母のことがあったので、昨日から妹が帰郷していた。

母が買い物に出かけたせいで、居間に二人きりになってしまったのは、私にとって気まずい時間だ。

妹はお湯を沸かしながら、私にわざと明るく話しかける。

「夫の知り合いにも、会社が潰れちゃった人がいるんだって。今度の津波は本当にまずいみたい。お姉ちゃんも、そろそろ家以外の避難先を見つけといた方がいいんじゃないの?」

妹は私と違い社交的で、母との仲も良い。

妹の見た目は子どもっぽいが、ほのかちゃんという、もう5歳になる娘がいる。

「お姉ちゃんは、やりたいことないの?お父さんの遺産があるとはいえ、いつまでもこの家ってわけにもいかないでしょう」

私はまた口論が起こることを予期して、少し身構えた。

「だけど、この頃は津波のせいでどこも大変だし。お母さんもあれで、足が前より弱ってきたみたいだからね。今、その話をしなくてもいいんじゃないの」

私は話題をそらそうとしたが、妹は逃がさない。

「前にも言ったかもしれないけどさ、お母さんがいることを、言い訳にしてない?やりたいことがあれば、津波は関係ないよ。あの資格の勉強って、まだしてるんだっけ?」

妹が聞いているのは、私が十年も前に心理士の勉強をしていたことだ。それはすぐに挫折して以来、ふれてもいなかった。

私は言い返す。

「ねえ、あなただって、昔はダンサーになるとか歌手になるとか言ってたじゃない。それが、ほのかちゃんができてから完全に専業主婦?あなたの方だって、津波で旦那さんの仕事がやられたら、あっというまに立ち行かなくなるんじゃないの。今は、そんなに幸せなの?」

突っかかる私を、

妹は「幸せだよお、すごく。子育ては大変だけどね」と受け流した。

私は妹の鷹揚さに傷つき、同時に、攻撃的になる自分自身にも傷ついていた。

大学を中退して以来、私は就職せず母と同居していた。妹は私に、家を出て自立しろと言いたいのだ。

妹の言葉遣いは穏便なものではなく、茎についたアブラムシをとりはらうような、粗雑な口ぶりが含まれていた。

「もうそろそろ立ち止まるのをやめて、歩き出すいい機会なんじゃないの。どうせ、お付き合いしている人もいないんでしょう」

私は自分のこの十年が、間違いだと言われているようで意固地になる。

「お姉ちゃん、前に言ってたでしょ。何もかもお母さんに決められてきたんだ、って。進学先も就職先も、お母さんの顔色ばかりうかがっていたって。だけど、ずっとお母さんのために生きなくてもいいじゃない」

私は十分に知っていた。不幸がゆっくりとした満ち潮であったように、いつのまにかとり返しのつかないほど深く、自分の貴重な歳月を沈めてしまっていることに。

私は「あなたが判断しないでよ」と反論する。「あなたはあなたの生活をしていて、私は私の生活を送っているっていうだけでしょう。あなたの立っているところから見て、勝手に遠回りとか、立ち止まるとか、私のいる場所を決めつけないでよ」



妹は沸騰した湯を急須にうつし、お茶の葉がひらくのを待った。

湯呑を二つ用意し、時間をおいて、妹は急須からお茶を注ぐ。

二度、三度と傾ける手つきは、どこか昔からの母の仕草と似ている。

しばらくの間ができたあとで、「お姉ちゃん、茹でガエルの話みたい」と妹が言った。

私は不愛想に答える。

「何それ」 

「カエルを熱湯に入れると、熱さにビックリして飛び上がるでしょう。だけどはじめに水の中に入れて、その水を熱していくの。そうすると、カエルは水が熱くなっていることに気づかないで、いつのまにか沸騰したお湯にゆだっちゃう。ゆっくり変化してるからわからないかもしれないけど、この家だって、すごく古くなったよ」

「私が、マヌケなカエルだっていうわけね」と答えた。

「お姉ちゃん。どうせ津波は引いていかないよ。この家から出ないって決めてるの?」

「『出ない』って何。ただこの家に『居る』ってだけじゃないの」

いくら話しても、根っこのところで、言葉が通じないことはわかっていた。

妹との間だけではない。学校とか結婚とか就職とか、大きな決まり事のようなものと自分とが違っているせいで、私の言葉は意味をもたなくなってしまう。

 

しばらく不毛なやり取りを続けたあと、妹は、「まだ処女のままなんでしょ」と言い捨てて、お茶を飲みほした。

私が、あなたはそんなに偉いの、と言い返そうとすると、騒々しく玄関の戸が開く音がして、母がどうでもいいことを言いながら戻ってきた。

妹との会話は打ち切りになった。

 

母がいっぱいの買い物をさげて、居間に戻ってくる。

「ねえ、洗濯物ないの?あるなら出していきなさいよ」と妹に言う。

「やらなくていいよ、午後には帰るって言ったじゃない」

「ええー」と 母は大げさに嫌がる。

「ほんとにすぐ帰っちゃうの?もう一泊くらいしていってもいいじゃない」

「娘を預けてるからねえ。私も忙しいもんだからさ」

妹は母のあしらいがうまいもので、「ねえ、ほのかの新しい動画見る?」と言って、娘の映像を見せようとスマホを取り出す。

二人はすぐに騒がしく話しはじめた。

妹にも母にも、もう私なんて存在していないみたいだった。

 

   日没

 

夕暮れに、妹は自分で築いた家庭に戻っていき、この家にはまた私と母が残された。

部屋は西日からの強い光彩を受けて、熱いオレンジ色に染まっている。

窓辺に立つと、自分の体が静かな火事にとりまかれているようでもあった。

あと何十年も、この家での暮らしがつづくのだろうか。

 

町内に、スピーカーから流れるアナウンスが響き出した。

今年に入ってから、毎日二回放送されているのだ。

「…… の おそれ が あります 被害 拡大 を 防ぐ ため 外出 は ひかえて くだ さい」 

拡声器による、エコーのかかった声が響く。

放送が聞こえたところで、特にすることもない。

毎日のことなので、放送の意図とは反対に、のどかな雰囲気さえ感じられてしまう。

 

「わあー、すごい夕焼けだねえ」

と、母が窓辺に来て、大げさに言った。

「うん。これくらいのはなかなかないね」

「ほらあ、よく見て」

窓から夕陽を眺め、母は再度感心の声をあげる。

津波がせまって以来、母は時間をもてあましているようだった。

昔から活動的で、津波が迫ってくる前は、観光案内所の仕事と、城跡ガイドのボランティアをしていた。

城跡といっても高台くらいしかなく、私はガイドするほどのものがあるのかどうか知らないのだが。

今はどちらも休止になっており、案内所は長期閉館の状態だった。

元から利用者は減っていたので、もしかしたらこのまま閉鎖されるかもしれない。

しかし、たとえ職場がなくなっても、母ならまたこの町で新しい仕事を見つけ出すだろう。私と違って。

 

「スミレちゃん、大丈夫?お婆ちゃんは、ほんとに残念だったけどねえ」

私は明るくつとめようとしたが、母には浮かない顔に見えたらしい。

「違うの。津波のことを考えてただけ」

私は適当に答えた。

「嫌になるよねえ。でも、きっとすぐに引いて元通りになるはずだから、ね。元気出さないと!」

母はいつも根拠のない話で、私を安易に励まそうとする。

しかし、本当に変わらない毎日があるならどうだろう。これまでと同じように日々が過ぎていくなら。案外本当に、平穏に過ごせる未来もあるのかもしれない。母も元気なまま、私も病気をせず、町に昔のような活気が戻ってくる未来。私はつかのま楽観的な希望をもって、赤く熱せられている町を見た。

 

「スミレちゃん、大丈夫でしょう、ね?」

「うん。大丈夫」

私は西日に目を細める。

ふと、夕陽の果てのどこかから、巨大な生き物のうめき声のようなものが聞こえた。

それはたぶん、空を吹きわたる風の音が、山稜を伝わり響いてきただけのことだろう。町をゆっくりと襲い来る、おごそかな津波の音などではなく。

 

 

 

【現代詩】伝統

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 伝統

国を食べなさい。
国の足の裏を食べなさい子供たち。
タンポンのように詰め込んで
麻薬を密輸するために満杯にしたはらわたのように
すこやかに育ちなさい。
住みなさい子供たち。
微生物が鼻腔にびっしりと張り付いているように
しっかりと国になりなさい子供たち。
あなたたちの骨の硬さが地盤の固さ
あなたたちの脂肪が母国の乳房
腋の下や股間の汗の粒が体躯の密着で潰れる
そのように国と同化しなさい子供たち。
踊りなさい。
身体になりなさい。
子供でいなさい。
子供とみなされる子供でありなさい。
揮発して語りえない空気となって
この国の放射線のように大気中に飛び散りなさい。
見えない針の雨で野菜に農薬に赤ん坊の肌に鉤爪をあて
食いこんで身を潜めておきなさい。
そして食べられなさい
その時にはもはや子供でなくなっている者たち。
食べられなさい。
この国の足の裏のように食べられなさい。

 

 

 

(Photo by Pixabay)

【現代詩】有名だからカフカを読んでみたけど全然面白くなかったしどちらかというと嫌い

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 有名だからカフカを読んでみたけど全然面白くなかったしどちらかというと嫌い

誰か私に謝ってほしい。
頭を下げて心からの謝罪をして
私を明確に世界の被害者に固定してほしい
自己責任でも思慮の欠如でもない0対10の過失の決定を

朝のポストには集団からの謝罪文が届いていてほしい
私が全面的な正義であることのわずらわしさすらなく
水道料金の領収書とピザ屋のチラシのあいだで
大勢の人たちが私に対して議論の余地もないほどめちゃくちゃに敗訴していてほしい

作家は「お前と世界との決闘に際しては世界に介添えせよ」と言う
私はある朝からいきなり集団的に敗訴を繰り返している
固定化された日常がつづく賃貸の城に定住して
私は誰かに謝りつづけないといけない反復を生き延びている

参加したつもりもないコミュニティの人たちがにこやかに私とあいさつして
次の裁判と次の次の裁判のための打ち合わせにとりかかっている
何を告訴しているのかわからない正しさを皆で守りあい
何が不受理になったのかわからない不当さと闘うために団結している

 

     告  訴  状

 

               令和 年 月 日

 

___警察署長 殿

 

               告訴人         印

 

   告訴人  住  所 〒  -  

        氏  名

        生年月日 昭和  年  月  日

        電話番号    -   -

 

  被告訴人  住  所 〒  - 

        氏  名

        職  業

        電話番号    -   -

 

新しい一日のために新しい敗訴を
そのつど苦渋の涙を流して悔やむほど真剣だった
敗れたことで有名になった人ほどうらやましいものはない
私も全世界の人から哀れまれるほどの審判に暮らしてみたかった

 

 

 

 

参照 F・カフカ著『夢・アフォリズム・詩』吉田仙太郎訳 平凡社 1996年 / 刑事告訴・告発支援センターHP http://www.告訴告発.com/index.html / 画像 Pixabay